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1 ラフル サンクリテャヤナがチベットに行ったのは4回?
ゲスト

ichhan 2005-11-19 22:13:53  SITE  [返信] [編集]

ラフル サンクリテャヤナ(rAhul saNkRityAyana)の辞書(Tibetan-Hindi Dictionary)のヒンディ語と英語の紹介文によると1927年から38年の間に4回チベットに行っていて、チベット語の文章によると最初は1927年7月12日にラサにたどり着いたとなっています。3回というのはこの最初のチベット行きが入っていないのでしょうか。

またこの本は2冊本で1972年Sahitya Academy(Delhi)から出版されたときには下巻(pa-a)が印刷中と英語のお知らせではなっているのですが、現在も刊行されていないのでは。
この本を入手した1981年にSahitya Academyの職員にたずねたところ下巻出版の話は知らないとのことでした。
なおこの辞典はチベット語とヒンディー語の対訳単語集で上巻(ka-na)は約2万語です。

この本では彼の名前(発音)は英語でRahul Sankrityanaとなっていますが、語尾のaは発音するのでしょうか。Aは長音のアではないのですが、a(オにちかいア)と表記しわけるならアーでも可能で、それならラーフル サーンクリテャーヤナと書けるのですが、サーンクリテャーヤンなのでしょうか。
2 Re: ラフル サンクリテャヤナがチベットに行ったのは4回?
dekipema


dekipema 2005-12-25 17:16:36  [返信] [編集]

ヒンディー語読めないんで,よくわからないんですが,下記の本の目次には,4度のチベット行きがあったように出ています。

1度目 1929〜30年
2度目 1934年
3度目 1936年
4度目 1938年

書誌情報は,以下の通りです。

Rahula vanmaya Vol.2
Kamala Sankrityayana ed.
Radhakrshna Prakasana, 1994
(アルファベットの上下の点とか線が表示できません。あしからず。。。)
3 Re: ラフル サンクリテャヤナがチベットに行ったのは4回?
ゲスト

ichhan 2006-1-25 1:36:59  [返信] [編集]

 数日前地元の図書館を通じて大阪外大図書館蔵の"meri jivan yatra"(「私の人生ー旅」)を借りることができました(rahul sankrityayana著 5巻 1950,51,67年 総頁2740p 3出版社刊)。

 いま第一回目チベット旅行に関するところ(2巻 44-106p)を読み終えたのですが、最初のラサ到着と出発はそれぞれ1929年7月19日と1930年4月24日でした。7月19日に数マイル先からポタラ宮の黄金の屋根を見た(p70)とあるのでこの日がラサ到着と思います。またすぐの21日にはダライラマに献呈するためにサンスクリットで15の頌を作ったそうです。

 行きはカトマンズから中尼公路のニェーラム、ティンリ、シガツェ、ギャンツェ、ラサで、帰り道ナルタン寺に寄りカンギュルとテンギュル購入に2100-2200ルピーを出費(p100)し、パーリ(5/26-28)からカリンポン(6/4)に戻り、サルナート(6/12)からスリランカ(7月20日)に出立されたそうです。

 サムエ寺にも4月9日ころ(p93)たずねたようです。行きのティンリあたりで自分を紹介するときにクヌパ(キナール人)からラダパ(ラダック人)にかえた(p55)とか。

 二回目のGCにあったらしい旅行についてはまた読んでから(もしそのことが書いてあれば)書いてみます。
4 Re: ラフル サンクリテャヤナがチベットに行ったのは4回?
ゲスト

ichhan 2006-2-10 4:37:26  [返信] [編集]

第2〜4回のチベット旅行もサンスクリット経典を求める旅(第2巻 pp.241)でGCも同行。以下のようにラサ周辺やギャンツェーシガツェーサキャ周辺のシャル、ンゴル、ナルタンなどを訪ねられたようです。

第2回(第2巻 pp.229-296)
1934年4月19日ガントクへ向かって出立。
パーリ(22日)、ギャンツェ(5月9日)をへて、ラサに19日より7月29日まで滞在(その間12-13日はデプン寺)、8月2日よりシャルブンパ僧院、タグルンゴンパ、ラカン、レディン僧院、ディグンゴンパ 、ポト僧院などをまわり、8日ラサに戻る。
ロカ(サムエ)にも行きたいと願い要人とも会うが実現せず。
9月8日ラサを離れヤムドク湖からギャンツェ(22日ころ)、シガツェ(24日)へ、そしてサキャには10月11日から27日まで滞在。
ティンリ(11月1日)をへて、ニェラム(5日)からカトマンズへ戻った(12月1日にはモハン・シャムセル将軍に会った)そうです。

第3回(第2巻 pp.383-449。そのなかチベット部分はpp.390-412)
1936年4月15日カトマンズを離れ、21日チベット国境近くのタトパニをへてニェラム(23日着、28日出立)。
ティンリ(30日)からサキャ(5月6日より7月22日まで滞在)、29日にシガツェへ出発(この間ンゴルやシャルへ)。8月3日タシルンポ寺のサムロゲシェに会いに行き、その後ギャンツェ(17日から9月7日まで滞在。8月15日は再びシャル。
9月8日から途中ンゴルからナルタンをまわりシガツェ14日着、28日にはタシルンポ寺へ(4日滞在)。再びサキャへ戻る。
10月30日サキャを離れ、シッキムへのもうひとつの道(カンバゾンーキル)を通ってガントクに11月11日ころ着、14日シリグリをへて今のコルカタに到着。

第4回(第2巻 pp.483-493)
1938年4月23日ガントク着。
5月4日カリンポンからパーリ(11日)をへてギャンツェ(21日)、シャル27日着、6月19日シガツェへ向かい、27日ポイカン着(7月2日まで滞在)、シガツェへ戻るも5日から30日までは仕事なし。
ンゴルに7月31日〜8月15日、ナルタンに16日〜28日、その後サキャに9月1日〜15日まで滞在。
カンバゾン、キルを通って、10月3日ガントクに戻り(pp.485)、コルカタに4日到着。
5 ラフル・サンクリテャヤナ氏はこんな顔のひとだったようです。
ゲスト

ichhan 2006-4-26 1:14:29  [返信] [編集]

ラフル・サンクリテャヤナ氏は彼の著書"meri jivan yatra"によるとこんなをされていたようです。
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