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〜 チベット人物の蔵 〜

人物録などあったらどうかと前々から思っていたのでこんなコーナー作ってみました。 とりあえず魅力的に思った人物を紹介するってことでどうだろう。chime

18世紀  

18世紀初頭のほぼ同じ時期に生まれ,交流のあった人々。今のところ出典はGene Smith Among Tibetan Textsの中のThe Diaries of Si tu Pan chen。スィトゥと関係のあった人々を中心に。

mdo mkhar tshe ring dbang rgyal  

  • [mdo mkhar tshe ring dbang rgyal]
  • ドンカル・ツェリンワンゲー(1697-1763)
    • 幼少の頃よりセラ,ミンドゥリンなどで基礎的学問を学ぶ
    • ポラネー・ソナムトプゲー(1689-1747)の友人であり,伝記作者
      • ポラネーとはミンドゥリンの同窓生であり,ホショト・モンゴルのもとで共に財務局で働いた友人
    • 1751年に内閣(bka' shag)が初めてできたときの4人の大臣の一人
    • 著書には若い頃に書いた『比類ない王子の物語』のほか,盟友ポラネーの伝記,自伝,サンスクリット辞書などがある

zhu chen tshul khrims rin chen  

  • [zhu chen tshul khrims rin chen]
  • シュチェン・ツーティムリンチェン(1697-1774)
    • デルゲ版テンギュルの編集者
    • チベットの偉大な詩人の一人
    • サキャ派コ゜ル系の学匠【山口1988:324】
    • テンギュル編纂の企画があったとき,すでにスィトゥが校訂したものを用意していたのにツルティム・リンチェンに編纂と目録著作が命じられた。デルゲ・ルンドゥプテンで主導権を持っていたサキャ派が傾向のあらわなカルマ派の人物(=スィトゥ)に編纂をゆだねてはならないという判断があったのではないか【山口1988:324】
    • スィトゥとは個人的に終生親しい関係にあった【山口1988:324】

kaH thog rig 'dzin tshe dbang nor bu  

  • [kaH thog rig 'dzin tshe dbang nor bu]
  • カトー・リンズィン・ツェワンノルブ(1698-1755)
    • ニンマ派のラマ
    • 非常に独創的な発想の人物
    • この時代にして既に古代の石碑調査を行っていることをRichardsonが報告している【Smith:20】
    • 唐における中国仏教の再検証と,そのチベット仏教との関係に関する論文も1744年に執筆している【Smith]20】

si tu chos kyi 'byung gnas  

  • [si tu chos kyi 'byung gnas]
  • スィトゥ・チューキジュンネー(1699/1700-1774)
    • シャマル八世によってスィトゥの化身と認定される
    • 1712年,デルゲを離れ中央チベットへ向かう
    • 1715-1721年,カムに戻り勉強を続ける
    • 1720年,カトー・ツェワンノルブと出会う
    • 1721年,再び中央チベットへ
    • 1722年,中央チベット各地を旅行
    • 1722年,シャマルとシャナーに付き添ってネパールへ
    • 1724年,西チベットを経由して東チベットへ戻る
      • このころ,デルゲ王テンパツェリンと親しく付き合い,パプン寺の建立(1727)
    • 1731-33年,デルゲ版カンギュルの編集と校訂作業,目録の作成
    • 1735-36年,ラサでサンスクリット写本調査
      • ラサではポラネーとドンカルワのもてなしを受ける
      • デルゲにおける編集・校訂責任者はスィトゥからシュチェン・ツーティムリンチェンに変わる
    • 1737年,サキャ・カンブムの完成
    • 1741年,デルゲ版テンギュルの初版が完成
    • 1748年,再びネパールへ
      • カトマンドゥではJayaprakaas'amallaにもてなされる
      • バドガオンのRan.ajitamallaからアマラコーシャの注釈の写本を贈られる
    • 1751年,中央チベットを経由してカムへ戻る
    • 1762年,ラサへ(最後のラサ行き)
    • 1763年,カムへ戻る
      • 亡くなる前の十年間は東チベットを旅行(ミニャー,ギェモロン,ジャンサダム)
    • 1774年,逝去

bstan 'dzin chos rgyal  

  • [bstan 'dzin chos rgyal]
  • テンジンチューゲー(1701-1766/1767)
    • ブータンのジェ・ケンポ十世
    • 著書にブータンの高僧の伝記およびブータン仏教史(lho chos 'byung)

dpal ldan chos skyong  

  • [dpal ldan chos skyong]
  • パンデンチューキョン(1702-1759/1760)
    • ゴル寺第33代(34代?)ケンポ
    • 著書に自伝(18世紀チベットにおける信仰生活を知るうえで最も重要な文献の一つ)

gnas gsar kun dga' legs pa'i 'byung gnas  

  • [gnas gsar kun dga' legs pa'i 'byung gnas]
  • ネーサル・クンガレクページュンネー(1704-1760)
    • デルゲにおける印経活動との関連で有名なサキャ派の学者

mgon po skyabs  

  • [mgon po skyabs]
  • ゴンボキャプ(生没年未詳,18世紀の生まれ)
    • 辞書学に関心を持つモンゴル人の学者
    • モンゴル語,チベット語,中国語,サンスクリットに通じる
    • 著書に中国仏教史(rgya nag chos 'byung)

zhe chen drung yig bstan 'dzin rgyal mtshan  

  • [zhe chen drung yig bstan 'dzin rgyal mtshan]
  • シェチェン・トゥンイー・テンジンゲンツェン(生没年未詳,18世紀の生まれ)
    • 著書にサンスクリット辞書skad gnyis shan sbyar dri bral nor bu'i me long (prajnyaa)

19世紀  

rdo rje yib  

  • [rdo rje yib]
  • ドルジエフ(1849-  )
  • ngag dbang blo bzangという名もある【CHMO(11):204】ほか
  • ダライラマ13世の教師団のひとり。mtshan zhabs

20世紀  

thub bstan kun 'phel lags  

  • [thub bstan kun 'phel lags]
  • トゥプテンクンペーラ(1905-1963)
  • 以下は【CHMO(3):141-172】に基づく。クンペーラの妻が書いた略伝。
    • ニェモ(snye mo)の人。家は農家。母のお腹の中に12ヶ月も入っていたのでいろいろ心配され,ラマに祈祷を頼んだところ女の子の名前を付けたらよいと言われ,デチェンチュドゥン(bde chen chos sgron)という名をいただき,村ではずっとこの名で呼ばれた。
    • エとニェモの出身の男の子は,エトゥ(e phrug),ニェトゥ(snye phrug)と呼ばれるダライラマ13世の小姓として集められ,写字生としての訓練を受け,またノルブリンカ宮の花の手入れをさせられることになっていたが,1916年(12歳),このニェトゥに選ばれ,親元を離れノルブリンカ宮でチベット語の勉強などを始める。
    • 馬方たちのさいころ賭博を見物していたのをダライラマ13世に厳しく咎められ,仲間と脱走するが追っ手に捕まり,川に飛び込むも逃れられず連れ戻される。その後すぐ,ダライラマ13世の寵愛を受けることになる。トゥプテンクンペーという名は13世から名付けられる。
    • 1921年(17歳)から正式にダライラマ13世の側近をつとめる。
    • 1933年(28歳),ダライラマ13世崩御の後,コンボに追放され,三年間を過ごす。コンボでチャンロチェン公ソナムギェーボと親しくなり,ブータン経由でインドに脱出することを相談。
    • 1936年(31歳),チャンロチェンとともにブータン経由でインドに到着。カリンポンのレティン旅館に滞在し,レティン商人の援助を受けながら自らも商売をする。当時のトモ総督,パンダ・ヤンペーはチベット政府からクンペーラを追及するように命令されていたが,二人で相談してこれを回避。その後,ゲンドゥンチュンペーとも知り合う。
    • to be continued
  • ダライラマ13世最晩年の2年間、寵臣としてほぼ絶対的な権力を持った。政府官僚ではないが、官僚の中に支援者も敵もあった。【GOL:147】
  • 造幣局長の職にあり僧官書記(ケンチェ)の位にあった。彼はまた武器と弾薬の輸入と配給の管理もしていた。彼は自分の権力を維持するために家柄のよい青年たちから成るトン・タク連隊(マカル)なる新たな連隊を設置した。クンペラーはダライラマ13世の在位期間の後半を通じて、自分が“チベットの強剛”であることを人々に印象づけることに成功していた。【シャカッパ:339】

lung shar rdo rje tshe rgyal  

  • [lung shar rdo rje tshe rgyal]
  • ルンシャー・ドジェ・ツェギェー
    • (1881-1940)【CHMO(2):93,109】

nor bu don grub  

  • [nor bu don grub]
  • ノルブ・トゥンドゥプ Rai Bahadur Norbu Dondup
    • 若干、得体の知れない人物なので、ここに「メモメモ」
    • チベット人だが、インド政府官吏【GOL:126】
    • シッキム政務官の部下?(たびたび文書による報告を送っている)【GOL:130】ほか

うぞーむぞー(めざせ、格上げ!)  

  • ルカン
  • キュンラム
    • 名言「山を呑みこんでもまだ満腹せず、海の水を飲み干してもまだ渇いている」【GOL:344】
    • レティンと対立
  • カプシュー
    • ダライラマ13世の転生者発見の論功行賞をレティンに有利になるよう工作(議会から内閣への提案書をひそかに書き換えた)【GOL:345】
  • トンボ
    • 反レティン。カプシューによる、ダライラマ13世の転生者発見の論功行賞に関する工作を阻止。そのため、まもなく閑職(ケンチェ)に左遷【GOL:345】
  • ガチャン・テンパdga' byang bstan pa
    • ルンシャー事件に関与し、流刑。ラサに戻ってすぐ、キュンラム事件にも関与。再度、流刑【GOL:348】

おまけ  

  • チベット名を持つ日本人
    • 多田等観 トゥプテンゲンツェン ダライラマ13世より【TADA1965:88】
    • 青木文教 トゥプテンタシ【TADA1965:95】
    • 寺本婉雅 トゥプテンスーパ ダライラマ13世より【山口1987:90】

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