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〜 チベット史年表/1935-1959 〜


(20) ダライラマ14世 亡命以前  

193519361937193819391940194119421943194419451946194719491951195419551956195719581959

1935  

  1. チベット
    • [初め]パンチェンラマの代理、ラサ到着【GOL:263】
    • [1月半ば]パンチェンラマ、イギリスに対し中立であるよう要請【GOL:263】
    • [2月8日]中国政府、パンチェンラマを西陲宣化使*1に任命。護衛兵500名を配備【GOL:263】
    • [3月23日]摂政、ウィリアムソンへラサへの招待状を送る【GOL:264】
    • [4月]カプシューパ、財務局長官(四品)に昇格【GOL:210】
    • [7月6日*2]後のダライラマ14世、ラモ・トゥンドゥプ、アムドのタクツェ*3で誕生【GOL:317】
    • [7月15日]チベット政府、パンチェンラマ帰還に護衛兵が同行することを認めないと、中国に通知【GOL:265】
    • [夏]ダライラマ13世の霊塔供養が終わり、14世の探索始まり、摂政レティンと大臣ティムンがラモラツォへ【GOL:311】
    • [8月26日]ウィリアムソン、イギリスがチベットに関心を持っていると示すことを目的に、ラサ入り【GOL:264-265】
    • [9月]中国政府、チェン・ユンをパンチェンラマ特別護衛委員*4に任命。パンチェンラマが西康経由で帰還しようとしていると、ラサで噂【GOL:265-266】
    • [9月10日~11月3日]ウィリアムソンとパンチェンラマ、電信でやりとり。ウィリアムソン「護衛を連れずに戻るべき」パンチェンラマ「チベット政府が私の要望を認めるよう、助力を」【GOL:266】
    • [11月初め]ウィリアムソン、パンチェンラマ護衛問題に関し、イギリス政府の協力をチベット側に伝達【GOL:267】
    • [11月9日~1936年1月初め]中国、パンチェンラマに300名の護衛を付けると発表。強く抗議する駐中イギリス公使キャドガンとの間でやり取り続く【GOL:267-269】
    • [11月18日]ウィリアムソン、ラサで客死。パンチェンラマ護衛問題に関し、ギャンツェ通商部Captain Battyeが、引き続きチベット政府やパンチェンラマの代理と協議【GOL:270】
    • [12月14日*5]チベットの内閣、Battyeとの最後の協議において、中国の宗主権を認めない旨、言明。摂政は、パンチェンラマに圧力をかけてほしいとBattyeに依頼【GOL:271】
    • [12月21日]チベット政府、クンブムにいるパンチェンラマに合流するため300名の中国兵が南京を出発したという知らせを受けて、武力で阻止する旨、中国政府に打電。イギリスの武力支援を要求【GOL:270】
    • カッティング、2度目のラサ訪問【ダライラマ1989:417】
    • 中国国民党政府、「パンチェンラマは西寧に本拠地を設置できる。チベット入国には500名の中国兵が護衛につく」との声明発表。チベット政府は英国に協力要請。こうしたことでパンチェンラマの帰国が遅れた【シャカッパ:346-348】
    • イギリスの探検家・植物学者キングドンウォード、許可なくタワン地区に立ち入ったとして、チベット官憲により逮捕。これをきっかけに、それまで半ば忘れられていたマクマホンラインが再認識され、タワン地区の帰属先がチベット・インド間で問題に【GOL:301】
  2. 周辺
    • 《中国》[初め]黄慕松、帰国。蒙藏蒙委员会委员長*6に任命【GOL:263】
  3. メモ

1936  

  1. チベット
    • [初め]クンブムのパンチェンラマよりチベット政府へ、護衛とともに帰路にある旨、通知。チベット政府はジェクンドに特使を派遣【GOL:273】
    • [1月 チベット暦12月末]ティムン、辞職願をレティンに提出【GOL:313】
    • [チベット暦正月直後]レティン、ティムンの辞職願を受理【GOL:314】
    • [2月初め]ウィリアムソンの後任、B.グールドおよびインド政府、パンチェンラマ帰還問題への介入をイギリス政府に建議【GOL:274】
    • [5月半ば]カムの大部分を掌握した中国共産党軍の出現で、パンチェンラマ隊の進行が遅れる【GOL:273】
    • [6月3日]イギリス政府よりグールドへ、制限つきでの介入許可とノルブ・トゥンドゥプのラサ派遣を通知【GOL:276】
    • [6月26日]ノルブ・トゥンドゥプ、ラサ到着【GOL:276】
    • [夏]レティン、ダライラマの転生者探索隊派遣の承認を得るため、国民議会を召集【GOL:314】
    • [7月頃]チベット政府、パンチェンラマ帰還達成のためさらなる妥協を決心し、イギリスの調停が不要に。しかし護衛を撤退させよという中国への外交的圧力は要求。ノルブ・トゥンドゥプよりグールドへ、チベット政府がイギリスの介入を拒否している旨、通知【GOL:276、278】
    • [7月半ば]パンチェンラマの別送荷物に武器が含まれていることを、チベットの境界警備隊が発見し押収【GOL:278】
    • [7月17日]「パンチェンラマに中国の護衛を付けることに、チベットは1度も公式に抗議していない」とする中国の主張に対抗するため、イギリスはチベット自身が過去に抗議した事実を示す文書を用意するよう、チベットに要求。チベット内閣、黄慕松宛の文書を作成【GOL:278-279】
    • [9月?]グールド、状況調査ほかの目的でラサへ。無線機を持参【GOL:278、299】
    • [9月]チベット、グールドに対しイギリスの直接介入を要望。1週間後に撤回。パンチェンラマの護衛問題による中国との戦争発生を懸念【GOL:279】
    • [秋]ダライラマの転生者探索のため、アムドほか2方面に探索隊派遣【GOL:316】
    • [11月15日]グールド、タワン地区がイギリスに帰属すること、およびその地域の戦略的重要性は認めつつ、チベット側の感情やパンチェンラマ帰還問題によるチベット・中国間の危機的状況から、タワンの帰属問題を一時保留にすべき、とインド政府に報告【GOL:305】
    • [11月末]パンチェンラマ、中国の護衛を伴いジェクンド到着【GOL:288】
    • [12月8日]インド政府、マクマホンラインの有効性承認をチベットに求めるよう、グールドに指示【GOL:306】
    • [12月末]パンチェンラマ、チベット政府の要求を容れるよう求めるガクチェン・リンポチェ(パンチェンラマにより特使としてラサに派遣されていた人物)を更迭【GOL:289】
    • カム駐留のチベット軍、中国共産党軍を追って揚子江を越え、デゲなどを掌握。蒋介石が抗議。チベット側は、カムにおける中国国民党軍の脆弱さを知る【GOL:274】
    • グールドとともにラサ入りしたニーム准将が(Brigadier Neame)、チベット軍を精査。それに基づく改善案「ニーム・グールド案」をチベットは熱心に受け止めるが、インド政府外務政務省(?)*7は案に示されたイギリスによる援助の大半を却下【GOL:280-】
  2. 周辺
  3. メモ

1937  

  1. チベット
    • カッティング、3度目のラサ訪問【ダライラマ1989:417】
    • [1月頃]ケツァン・リンポチェ率いるダライラマの転生者捜索隊、ジェクンドでパンチェンラマに会い、クンブム滞在中にパンチェンラマが見つけた転生者候補がいることを告げられる【GOL:316】
    • [1月後半?]パンチェンラマ、護衛問題に関しジェクンドでパボンカ・リンポチェの説得を受ける【GOL:289】
    • [1月後半?]チベットの内閣、グールドに対し「保証人としてのイギリスがいなければ中国との交渉成功は困難」と。しかし1週間後、イギリスに対する要望が実を結んでこなかったことを理由に、大臣の中国派遣を検討中、と伝達【GOL:290】
    • [2月]グールド、離蔵。ギャンツェの通商代表リチャードソンらはラサに残ることに【GOL:299】
    • [3月]武装した中国兵に護衛されたパンチェンラマ、ジェクンド到着。中国兵を随行させないよう求めるカム総督側との間で押し問答し、数ヶ月経過【シャカッパ:348】
    • [3月頃]チベットの内閣、パンチェンラマが20名の中国人官吏、500名の軍とともに帰還しようとしていることを知る【GOL:291-292】
    • [4月]チベットの内閣、ラサのイギリス代表部長*8リチャードソンに、イギリスによる中国への再度の抗議を依頼【GOL:293】
    • [5月頃 チベット暦3月10日]ケツァン・リンポチェ率いるダライラマの転生者捜索隊、クンブム到着【GOL:316】
    • [5月半ば]チベット政府、パンチェンラマの護衛のチベット入りを阻止するため、ロンスム(カム)などに軍を配置【GOL:294】
    • [7月17日]パンチェンラマがチベット政府の要求の一部を認めた旨の知らせが、チャムド総督より(チベット政府に)届き、ただちに議会で討議。パンチェンラマの要求の一部を認める内容で回答【GOL:294】
    • [8月30日]パンチェンラマがジェクンドを発ったという知らせが、チャムド総督より(チベット政府に)届き、議会はタプチ連隊の出動を命令【GOL:295】
    • [9月6日]チベット議会、タプチ連隊の兵500名のチャムド早期派遣を決定【GOL:295】
    • [9月13日]「中国政府が日中戦争を理由にチベット帰還の延期をパンチェンラマに勧めた」という情報が、チベット政府に届く。同じ頃、「パンチェンラマはチベットにむけて出発しようとしている」という情報も【GOL:295-296】
    • [10月初め頃]パンチェンラマ、チベット帰還の延期を決意【GOL:297】
    • [10月10日過ぎ]パンチェンラマ、ジェクンドへ引き返す【GOL:298】
    • [12月1日]パンチェンラマ、中国護衛軍500名と共に国境に到着したが、ジェクンド(Jyekundo 玉樹)にて死去【ダライラマ1989:419】パンチェンラマ、ジェクンドで病没【シャカッパ:349】【GOL:298】パンチェンラマ、おそらくジェクンドで没【TADA1965:77】
  2. 周辺
    • 《中国》[7月7日]盧溝橋事件(日中戦争勃発)
  3. メモ

1938  

  1. チベット
    • [4月]イギリス、ライトフット大尉をタワンに派遣。そこがインド領だと示すため徴税実施。チベット政府はただちに抗議。しかしチベットは新たなダライラマの即位に関心を向け、イギリスもヨーロッパの緊張状態などの諸事情から、数年間どちらも新たな行動を起こさず【GOL:307】
    • [5月]ルンシャー釈放。1年後に死亡【GOL:211】
    • 青海軍閥馬歩芳ら、タクツェ出身のダライラマ転生候補者のラサ行きを妨害し、金品を要求【GOL:321-322】
    • レティン摂政、レティン・ザサーの率直な忠告に腹を立て、彼を更迭。身内の若者を後任に【GOL:331】
    • [10月]レティン摂政、ダライラマ親衛隊司令官ユトーを左遷。個人的な恨みによるものと思われる【GOL:333】
    • [秋か冬]チベット政府、ダライラマの転生候補者のラサ行きを妨害する馬歩芳の説得に力を貸してほしいと、国民党政府に依頼。国民党政府は「中国の護衛を付ける」等の条件を提示【GOL:322】
    • パンチェンラマの遺体、タシルンポ着【シャカッパ:350】
  2. 周辺
  3. メモ

1939  

  1. チベット
    • [2月22日]第14世ダライラマ、テンズィン・ギャツォ即位。即位式には英国、ネパール、ブータン、シッキム代表らと共に中国代表呉忠信列席【ダライラマ1989:419】
    • [4月14日]レティン摂政の根回しにより、ランドゥン首相は辞任すべきと国民議会幹部会議で決議【GOL:335-336】
    • [4月15日]ランドゥン首相、辞任を受諾【GOL:336】
    • [5月28日]レティン摂政、2種の摂政印を作らせる【GOL:336-337】
    • [7月21日]タクツェ出身のダライラマ転生候補者とその一行、ラサに向けてアムドを出発【GOL:324】
    • [8月]レティン摂政、主席大臣テガンを辞任させ、ラプラン財物管理局長のケメーを罷免【GOL:337-340】
    • [8月23日]チベット政府と国民議会、ラサへの途上にある候補者をダライラマ14世と宣言【GOL:324】
    • [10月8日]ダライラマ14世の一行、ラサ到着【GOL:324】
    • [10月11-13日]新ダライラマ発見の論功行賞などについて、国民議会で討議【GOL:341-344】
  2. 周辺
  3. メモ

1940  

  1. チベット
    • [1月]ダライラマ即位式のため、蒙蔵委員会委員長呉忠信、シッキム政務官グールドら、ラサへ【GOL:325】
    • [2月4日]中国政府、アムド出身の候補者をダライラマ14世と認定すると宣言【GOL:326】
    • [2月22日]ダライラマ即位の儀式スタート【GOL:325】
    • [2月]ダライラマ13世伝*9、完成【BELL1946:16】
    • [3月10日]呉忠信の補佐官とチベット側との間で、中国に対するチベットの地位、パンチェンラマの遺体返還に関する協議開始【GOL:329】
    • [3月13日]呉忠信、1934年以来無線機とともにラサに置かれていた中国代表部を正式なものとすべく、レティン摂政に働きかけ。しかし成果は得られず【GOL:329-330】
    • [4月14日]呉忠信、離蔵【GOL:329】
    • [5月22日]レティンとカプシューの画策により、キュンラム逮捕。お家取り潰し【GOL:347】
    • [6月6日]キュンラムとその共謀者ガチャン・テンパ、流刑に【GOL:348】
    • [9月]国民議会で、ダライラマ14世発見の論功行賞決定【GOL:350】
    • レティン摂政、配下のセラ寺トゥパ学堂長をメー学堂長に昇格させようと画策。メー学堂僧侶らの猛烈な反対に遭い、断念*10【GOL:350-353】
  2. 周辺
  3. メモ

1941  

  1. チベット
    • [1月半ば]レティン摂政、辞意を表明。後任にタクタ・リンポチェを指名【GOL:354-355】
    • [1月末 チベット暦1月1日]タクタ・リンポチェ、摂政に就任【GOL:355】
    • 摂政ラティン辞職。タクタ・リムポチェ・アワン・スンラブ、新摂政となる【ダライラマ1989:419】
  2. 周辺
  3. メモ

1942  

  1. チベット
    • 日本軍、重慶への武器供給路であったビルマ・ルートを遮断、英国と中国政府は、インド→南チベットのザユル→重慶の新ルート建設をチベット政府に迫る、チベット拒否して中立を貫く【ダライラマ1989:419】
    • チベット政府、ラサ駐在中国連絡官に国外退去を命令(彼の私邸に逃げ込んだ犯罪者逮捕のため訪れたチベット政府官憲を不法に留置したため)【ダライラマ1989:419】
    • イリヤ・トルストイ大尉とブルーク・ドラン中尉はルーズベルト大統領の親書を携え、チベット経由重慶への物資供給路発見のため入蔵。ラサ、玉樹、西寧、重慶経由帰国。ダライラマより大統領に返書【ダライラマ1989:419】
  2. 周辺
  3. メモ

1943  

  1. チベット
    • ラッサ駐在民国駐在官、増員認められる【山口1988:xiv】
    • 後任の駐蔵連絡官として、中国政府代表沈宗濂到着【ダライラマ1989:419】
  2. 周辺
  3. メモ
    • 駐蔵連絡官を【ダライラマ1989:419】では沈崇廉としているが、沈宗濂が正しいと思われる。

1944  

  1. チベット
    • [12月]前摂政のレティン、ラサへ【GOL:363】
    • サムエ寺院近くのドーに米国軍用機(アッサム・重慶間の輸送機)不時着。搭乗の全員をインドに護送。チベット政府、農民の滞納負債利子全額免除【ダライラマ1989:419】
  2. 周辺
  3. メモ

1945  

  1. チベット
    • 英語学校、ラサに開設される。数か月後、寺院の反対で閉鎖【ダライラマ1989:419】
    • インド・デラ・ドゥンの英国捕虜収容所を脱走したハーラーとアフシュナイター(両名とも登山家)は、チベットに逃げ込み保護される。英国と中国政府の引き渡し要求をチベット政府拒否【ダライラマ1989:420】
    • [8月]木村肥佐生入蔵【ダライラマ1989:420】
    • [9月]西川一三入蔵【ダライラマ1989:420】
  2. 周辺
    • 《》第二次世界大戦終わる【山口1988:xiv】
  3. メモ
    • 「第二次世界大戦はじまる」を「終わる」に修正。

1946  

  1. チベット
    • [11月]チベット政府、連合諸国に戦勝祝賀使節団を派遣【ダライラマ1989:420】
    • ツェポン・ラル、夜間帰宅の途中射撃される。暗殺未遂【ダライラマ1989:420】
  2. 周辺
  3. メモ

1947  

  1. チベット
    • [1月]ルンシャーの末子チャンチュプ、公職復帰【GOL:211】
    • チベット通商使節団、諸国に派遣【山口1988:xiv】
    • セラ寺チェー学堂の反乱。政府に味方した学堂長を僧侶らが殺害。メー学堂は政府を支持【GOL:29,170】
  2. 周辺
    • 《インド》独立【山口1988:xiv】
  3. メモ

1949  

  1. チベット
    • 中国共産党、チベット解放宣言。西寧を掌握。国民党承認のパンチェンラマ7世を追認。ダライラマ14世、ヤトゥンに逃れ国連に提訴するが、認められず【山口1988:xviii】
  2. 周辺
    • 《中国》国共産党、本土を掌握【山口1988:xviii】
    • 《中国》[12月]中華民国政府、台湾に移る【世界史1993:243】
  3. メモ

1951  

  1. チベット
    • [5月]ガプーパらのチベット代表、北京に至り17条平和解放協定調印【山口1988:xviii】チベットの平和解放協定(17か条協定)【ダライラマ1989:397】
    • [8月]14世、ヤトゥンより戻る【山口1988:xviii】[8月17日]ダライラマ帰還【PHUNTSO:160】
    • [9月]解放軍、ラッサ入り【山口1988:xviii】[9月9日]解放軍の先遣隊がラサ入り【PHUNTSO:160】
    • [10月26日]解放軍本隊ラサ到着【PHUNTSO:164】
  2. 周辺
  3. メモ
    • CHMO(1)の[1-07]に詳細な日録(1951.3.31-9.11)あり。

1954  

  1. チベット
    • ダライラマ・パンチェンラマ、第1回全国人民代表大会に出席【山口1988:xviii】
    • 中国のチベット地方とインド間の通商、交通に関する中印協定【ダライラマ1989:397】
  2. 周辺
  3. メモ

1955  

  1. チベット
    • ダライラマ14世、「西蔵自治区準備委員会」設立承認【山口1988:xviii】
  2. 周辺
  3. メモ

1956  

  1. チベット
    • 西蔵自治区準備委員会、発足【山口1988:xviii】
    • 二大ラマ、インド仏誕2500年祭に出席【山口1988:xviii】
  2. 周辺
  3. メモ

1957  

  1. チベット
    • 毛沢東主席の指示により西蔵自治区の改革促進を迫られる【山口1988:xviii】
  2. 周辺
  3. メモ

1958  

  1. チベット
    • 東部カム地方はじめ、各地に反乱あいつぐ【山口1988:xviii】
  2. 周辺
  3. メモ

1959  

  1. チベット
    • [3月]ダライラマ14世、インド亡命【山口1988:xviii】
  2. 周辺
  3. メモ

*1 Special Cultural Commisioner for the Western Regions。訳語は【シャカッパ:346】より
*2 日付はhttp://www.tibethouse.jp/dalai_lama/about.htmlより
*3 一般には「タクツェル」と表記されることが多いが、Goldsteinの表記Taktseに従い「タクツェ」とした
*4 Special Commissioner to Escort H.H.the Panchen Lama, the Western Border's Cultural Commissioner
*5 【GOL:271】本文では11月14日としているが、Battyeとチベット側の最後の協議がウィリアムソンの死去より前ではおかしいこと、引用された文書の日付が12月16日【GOL:271注45】であることから、12月のまちがいではないかと判断
*6 ? chairman of the Commission for Mongolian and Tibetan Affairs
*7 Foreign and Political Department of the Government of India 参照link
*8 the head of the British Mission in Lhasa。「代表部長」という訳語は【スネルグローヴ:奥付】より
*9 タイトル:lhar bcas srid zhi'i gtsug rgyan gong sa rgyal ba'i dbang po bka' drin mtshungs med bcu gsum pa chen po'i rnam par thar pa rgya mtsho lta bu las mdo tsam brjod pa ngo mtshar rin po che'i phreng ba
*10 正確な時期、不明。1939年後半かも?

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