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〜 チベット国際条約の蔵 〜

「メモメモ主義」に則り、ひとまずページを作ってみました。チベットに関して、他の国が結んだ条約を含んでいます。dekipema

1792 清、チベット軍、ネパール戦勝条約  

  • ネパール、5年毎の朝貢を約す【ダライラマ1989:397】

1842 チベット・ラダク条約  

  • 友好、境界線、通商に関する取り決め【ダライラマ1989:397】

1856 ネパール・チベット条約  

  • チベット敗戦【ダライラマ1989:397】

1876 英清芝罘条約特別条項  

  • 英国、探検使節のチベット派遣を強要。これに清国政府は便宜供与の約束【ダライラマ1989:397】

1886 ビルマおよびチベットに関する英清条約  

  • 英国は清国に代わりビルマの事実上の主権を獲得。その代わりチベットに対する使節派遣、通商強要を撤回【ダライラマ1989:397】

1890 シッキムに関する英清条約  

  • チベット・シッキムの国境確定、シッキムに対する英国の保護権確立【ダライラマ1989:397】

1893 シッキム条約通商条項補足  

  • シッキム条約に、印蔵通商の制限に関する通商条項を補足。チベット・シッキム間の貿易、通信、牧場に関する規定【ダライラマ1989:397】

1904 英国・チベット条約  

  • チベット国内に英国市場の開設、賠償金支払、チュムビ渓谷に英国軍駐留など【ダライラマ1989:397】
  • イギリス政府はヤングハズバンドによるチベット遠征を事実上否認し、条約によるインド政府の権益獲得や、チベットでの地位確立をめざすインドの辺境担当官僚(Indian frontier officers)の行動を妨害。条約承認を求め、条約署名直後から中国との接触を開始。1906年の条約へ【GOL:46】
  • 英訳:Lhasa Convention【GOL:46】

1906[4月] チベットに関する英清北京条約  

  • 1904年の条約を北京にて清朝政府承認【ダライラマ1989:397】
  • チベットにおける中国の立場を確認。イギリスは通商のみでチベットに関与することに【GOL:46】
  • 英訳:Anglo-Chinese Convention【GOL:46】

1907[8月] ぺルシャ、アフガニスタン、チベットに関する英露条約(英露協商)  

  • チベットにおける清国の宗主権を認める。両国はチベットの領土保全を尊重し、その内政にいっさい干渉しない。チベットにおける英国の既得権は変更しない。両国は代表をラサに送らない。チベット国内で鉄道、道路、電信、鉱山などの利権を求めない。他【ダライラマ1989:397】

1908[4月] 英清通商条約  

  • 1906年の条約を修正【ダライラマ1989:397】印蔵交易を律するもの【タイクマン:24】
  • 4月20日カルカッタで調印。イギリスが活動できる地域(ギャンツェ)を定義。市場の保護及びインドに通じる電報線の保線が中国に譲渡されたことにより,中国軍のチベット駐屯を公認することに【デエ:244】

1913 モンゴル・チベット条約  

  • 友好と相互援助取り決め【ダライラマ1989:397】

1914[4月] シムラ条約  

経緯  

  • 英中蔵3カ国会談。英蔵のみ正式調印【ダライラマ1989:397】
  • 中国とチベットとの公然たる戦争が何年も続き、インド・チベット交易および北東辺境地域の平和に大なる損害を与えられることを懸念する英国が、和平に乗り出した。中国、チベット、英国の相互関係を調整し、チベットの地位を確立する目的【タイクマン:60】
  • カムでは趙爾豊によって創設された中国支配の骨格再建。ココノールは過去10年の事件によって影響を受けず、以前通り西寧駐在アンバンの名目的支配下【タイクマン:61】
  • 条約草稿に3人の全権代表が頭文字で署名【タイクマン:62】
  • [夏]中国が署名を拒み、何らの協定も結ばれないまま打ち切りに。しかし中国は、辺境に駐屯する中国軍が攻撃されない限り、現在掌握している位置以上に前進しないと保証。この了解に基づき、続く数年間辺境で休戦【タイクマン:62-63】
  • 本条約のほかに、イギリス・チベットの特別協定があり、チベットは交易所におけるイギリスの治外法権、ブータン東部・チベット国境のイギリスに有利な画定を認めた【GOL:75-76】

条約の内容  

  • (1)内チベット、外チベットの設置(2)中国は外チベットを中国の省に変更せず、その内政に干渉しない。アンバンと護衛だけを外チベットに派遣。イギリスはラサ条約で決められた規模の部隊を駐留させる。ギャンツェのイギリス通商代表は、必要な時にラサヘ行くことができる(3)チベットは中国を外国とみなさない(4)中国とイギリスは、チベットに関して交渉を持たない【GOL:74-75】
  • 注記(Notes)において、チベットが中国の一部であると理解されている【GOL:75】
  • チベット本土は中国を宗主とする自治国家であること、中国のアンバンはその階級と地位にふさわしい軍隊の護衛とともにラサヘ戻ること、中国と英国はチベットの政治に何ら介入しないことなどが三者によって賛同されたが、チベット国境の問題で見解の相違が大きく、協定不可能に【タイクマン:61】

1917 蔵中休戦協定  

  • タイクマン(英国の中国駐在副領事)調停による【ダライラマ1989:397】

1951[5月1日] チベットの平和解放協定  

  • 17か条協定【ダライラマ1989:397】
  • これによりチベットは初めて正式に、中国の主権を認めた【GOL:xix】
  • 英訳:Seventeen Point Agreement【GOL:xix】

1954 中国のチベット地方とインド間の通商、交通に関する中印協定  

  • 【ダライラマ1989:397】

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