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『世界知識行 黄金の平原』 第八章 04  

  • 著作集pp.254-257
  • 担当:海老原

以上、少々具体例を示す程度に紹介したが*1、密教経典と論書には、チャクラ(tsa 'khor>rtsa 'khorの誤りか?)を文字の形をもって説明したり、入楞伽経などにおいて字体の形を説明している箇所があり、それらは、何をもっても対応させるのが難しいが、このマウリヤ朝の文字と、このグループのいくつかが変化したグプタ王朝にできた文字と簡単に関係づけられて、例えば、kaの文字が傘の形をもつものであると説かれている、多くのグプタの文字において、kaの文字が【illust.】このようであることなど、素直な人が見れば、本当に驚くべきことであるが、このことを、今まで有雪国チベットで愚者、賢者ともに誰も夢に見たことのない価値ある正論ではあるが、それらは、明き盲(longs>longの間違いか?)の者どもが、ひどいねたみによって、私の側に軍勢も富もないように見えるのに、まだ、毒蛇が威嚇するシューという音とともに攻撃するのである。攻撃しても、攻撃のための攻撃をする。信じないというなら、三蔵法師玄奘*2やチャクロツァワ*3たちの巡礼記に著されているアショーカ王の石柱もまた、バラナシ*4の寺跡に、建立されて2千年あまり経っているのだが、その上に著わされた王様の名の文字をしばし見よ。そうであっても、ねたみを持つ者を誰が喜ばすことができよう。

驚くべき話の宝蔵の扉を開いたが、
怒り皺は消えない
所詮、このねたみ深い人の
喜ぶ物は他人の没落ばかりなり

ともいえよう。

グプタの王統時代に大臣トゥンミ・サンボータは、インドに着いて、その時のインドの中心地の文字を手本にしてチベット文字を創った。グプタの何人かの王の銅板と石碑それらは、チベット文字と非常に似ている。少し、遠くから見ると、手馴れていない者がチベット文字を書いているようであるのは、例えばこのようで【illust.】ラクナウ*5の都でチャンドラ・グプタ2世*6の石碑があるのを、私が*7見た途端に少し読み上げたので、多くの大学者は噴出した(rgad mo syor>gad mo syor 「笑いがこみ上げる」の誤りか?)。「それは何千年も経た古代文字であり、私たちが学んでも、なかなか読めないのに、あなたが学ばずして読んだのは驚きだ」と言った。そのようにグプタの文字はチベット文字と非常に似ており、チベット人が何も学ばなくても、見たら半分は読むことが可能である。そもそものはじめは、チベット文字も今とは多少違う形をしていたのは確かであり、その時以来、グプタ文字とほとんど同じであったに違いない。それだけでなく、そのときのネパールの王たちの石碑、シンハラ文字、インド[の文字を]そのまま保持した中国の文字である陀羅尼のマントラの字の形でさえ、グプタの文字に見えて、チベット文字とこれらは双子の兄弟みたいに見えるほどに、お互い似ているように見えて、例えば、チベット文字の【illust.】koはグプタ文字の【illust.】ko、シンハラ文字の【illust.】ko、中国の陀羅尼文字の【illust.】koこのように書くなど、頭がくらくない者が見れば、ひどく驚いたあまりに笑ってしまうでしょうよ。クマラ・グプタの銅板を別記したものをご覧なさい。ランツァ文字はグプタ王朝の分裂時代の後の最後の王、『竜王の喜び』の著者であるシュリ・ハルシャ・ヴァルダナ*8、その人の[時代の]前後くらいに生じたので、それも、パンティッタらが美しく創り込んだ文字にすぎず、王国の文字は、まだグプタの文字であるので、それは次第に変化し、そこから、現在の[インド]中部の大部分で使われている、このナーガラー文字(デーヴァナーガリー文字)そのものが生じたのだ。

コメント  

  • [illust.]→【illust.】に修正。他のとあわせました。--hoshi
  • 詩の部分,各行の末尾に改行記号を入れました。 --hoshi
  • mya ngan med:アショーカ王のこと
  • rgyal po nyi ma'i go cha:チャンドラグプタ二世(超日王)のことか?自らを「武勇の太陽」と名乗ったという。link
  • shriharshawaddhana:シュリー・ハルシャ・ヴァルダナ(シーラーディティヤ/戒日王は称号)。プシュヤブーティ(ヴァルダナ)朝の王。在位は605か606-646か647年。「ハルシャ王は勇敢な武将であると同時に文芸の愛好者でもあり,宮廷には多数の詩人,学者が集まった」「王自身もまた文豪として知られ,戯曲《ナーガーナンダ(竜王の喜び)》をはじめ幾編かの作品を今日に伝えている」「ガンガー上流域を直接統治」(いずれも『南アジアを知る事典』p.568)
  • klu dga' ba'i zlos gar mdzad mkhan:戯曲《ナーガーナンダ(竜王の喜び)》の作者
  • chag lo:chag lo ts'a ba chos rje dpal (ダルマスヴァーミン)12-13世紀の人。13世紀はじめにインド旅行をしたチベット人僧侶。1193年にイスラーム教徒によって破壊された後のナーランダ大僧院等を訪れて記録を残している。rgya gar lam yigという著書あり。link
    • hoshi 2007-01-17 (水) 11:54:20
  • さらなるchag lo情報。rgya gar lam yigはSatapitakaシリーズに収録されているのですが,その序文を読むと,ラーフルの1936年の第二回チベット調査でナルタン寺を訪れた際にそこでrgya gar lam yigの写本を撮影したと書かれています。同行したGCはこれを見ているのですね!後にコピーを入手したレーリッヒが翻訳を出版していますが,GCはそれも手伝ったのかしらね。
    • hoshi 2007-01-19 (金) 11:49:32
  • ランカヴァタラ・スートラ→入楞伽経に修正しました。
    • hoshi 2007-01-25 (木) 08:32:07

*1 yin gyis 山口瑞鳳 春秋社 p.369 述語(形容詞、動詞、助動詞)に直結した属格助辞 中断、訂正、反戻
*2 三蔵法師玄奘(thang zang tsang, トンカル辞書にはthang dzam tshang
*3 コメント参照
*4 実際の場所はサルナート
*5 ラクナウ(Lucknow、ウッタル・プラデーシュ州の州都)か?
*6 コメント参照
*7 私の目で?
*8 コメント参照

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