[starLab] [starLab] [aa]
 

〜 GC/gserthang08/05 〜

Top > GC > gserthang08 > 05

『世界知識行 黄金の平原』 第八章 05  

  • 著作集pp.257-259
  • 担当:三浦

それゆえ、ランツァは、時代もトゥンミ[サンポータ]よりあとに、美しさを追求した文字であるため書きにくく、その分大きめで、インドそのもので生みだされたものでないこと示している。チベット文字がなにを手本にしたかといえば、グプタ文字のみであって、一切知ブトゥンなども、ナーガリー文字を手本にしたと述べられており、ランツァ文字手本説などこれっぽっちも説いておらず、、当時のナーガリー文字こそが、まさにそれ(チベット文字の手本?)なのである。これらも、いままで、誰一人思いついたことすらない事柄ながら、チベット人のある放浪者がインドにたどりついて、幸運にも見出すことのできた新たな驚きであり、筆者のほら話だと考えず、喜んでいただきたい。もし喜んでくださらないなら、私だって我慢ならず

学者が国を旅して集めてきた
貧しい宝を、地にならべても
耳から耳へとひそやかに伝えられてきた
金持ちの金の経典(金泥の経典)にはかなわないのだ

と嘆じざるをえない。

ジェ・シャルロチェン*1は、トゥンミ[サンポータ]が、ランツァ文字を手本に有頭字(ウチェン)を、ワルトゥ文字を手本に無頭字(ウメー)をつくったとおっしゃっており、また多くの学者たちも、その説を踏襲しているが、[文字の形が]似ていることから類推して述べたにすぎず、真実ではない。無頭字(ウメー)は初めから意図してつくられたわけではなく、有頭字(ウチェン)を速く書いたところから、自然に生じたものであり、古い文字、さらに今なお「南文字」の名で呼ばれているブータンで使われているものをみると、あきらかにこのように結合して(【illust.】)のように書いており、無頭体(ウメー)の丸も(【illust.】)のようである。ワの文字は有頭体(ウチェン)と無頭体(ウメー)両者のちがいがはなはだしく、長い間にどのような変化をしてきたかはわからなかったが、後にこのような(【illust.】)ワの文字を見て理解できた。

古い文字の大部分には、【illust.】などのように、それぞれの文字と文字のあいだに上と下のツェクがおかれているが、上と下のツェクが一緒になって、【illust.】などのように無頭体(ウメー)の長いツェクが生じたことがわかる。

文頭の飾り記号(??)もオームの文字であると理解できる。インドの経典類の最初の頁の頭にオーム[の文字]が書いてあり、昔から今にいたるまでのインドのオームの文字の形は【illust.】のようなものであるが、それよりも、長母音のオームは、一切知のラマ(ロンチェンパ?)が「長母音のオームは一切の不確実なるものを確実〔なものとする〕とおっしゃったごとく、バラモンたちが、重要とみなしたゆえに、文頭などには常に長母音のオームをもってくるのである。長母音のオームの形は、インドの文字では【illust.】であるが、古いいくつかの経典でも文頭の飾り記号として【illust.】がこのように書かれているのをみると、これはオーム文字の形が変形したのものなのである。

コメント  

  • [illust.]改め【illust.】を該当箇所に挿入。--hoshi

星コメ@ビフォーGC研  

  • khyab de tsam du che ba zhig rgya gar rang du yang ma byung ba:インド自体においてもそれほど広くは広まらなかった
  • ブトゥンはナーガリーとも言っていなくて, gzugs kha che'i yi ge dang bstun nas / (字形はカシュミールの文字に合わせて) と言っている。
  • rje zha lu lo chen:rje btsun zhwa lu lo ts'a ba chos skyong bzang po
    • thon mi sambho Ta zhes grags pa de nyid kyis sngar bod na yi ge med pa la / la;nca na'i yi ge la dpe mdzad nas bod kyi yi ge dang skad kyi gsung rab la 'jug pa'i tshul sngon med pa phul du byung ba mdzad do / ( slob dpon a nus mdzad pa'i bod kyi skad kyi gsung rab la 'jug tshul sum cu ba'i rnam 'grel の冒頭部分より ):「ランチャ文字に範をとり」とは言っているが,ワルトゥ文字の話は確認できなかった。
  • 「ランチャ文字がウチェンのもととなり,ワルトゥ文字がウメーのもとになった」との説は「王統明示鏡」以降の史書によく見られる表現 (参考:チベット文字事始め)
  • kun mkhyen bla ma:ジャムヤンシェーバ三世の可能性は?(伝記のタイトルにkun mkhyen bla maとあるlink

*1 1444-1529

リロード   新規 編集 凍結 差分 添付 複製 改名   トップ 一覧 検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS
Copyright © 2004 Hoshi Izumi. All rights reserved.