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『世界知識行 黄金の平原』第八章 06  

  • pp.259-261
  • 担当:星

他にもニンマ派の埋蔵経典などの冒頭にも【illust.】このようなものがあり,これもまたオームの文字である*1。そればかりか,埋蔵経典には,行毎の末尾のツェクに【illust.】のようなものが書かれたが,これも上述の通り,古いチベット語の文書にツェクが上下二点ずつ書かれるという習慣があった[名残である]*2。したがって「行毎の末尾にアヌスヴァーラ*3が来るのは声明学に反する」という批判をする者がいるが,それも意味のないものに過ぎない。またソクドーパ*4は「これ[すなわちウメーにおける長いツェクは]はヴィサルガ*5としてもよいが,講釈を速記した際の特徴である*6」とおっしゃっているのもまた正しいのである。

これらについて考えると,ダキニ文字*7は数多の種類があるが,その一部は古いチベット文字の形だろうかとも思う。

考え方によってはそうしたダキニ文字はパドマサンバヴァらが作ったとしたらランツァ文字やワルトゥ文字などでもありうると思うが,ティソンデツェン王の御代に[インド中央部]で通常用いられていた文字はグプタ文字であり,グプタ文字と,ダキニ文字として知られる文字の両者は,全体の形がきわめて似ていると見受けられるので,正真正銘の埋蔵経典*8でも見つかれば,その多くの部分がグプタ文字で[書かれてい]ないという確証もまたないのであるが,それについてはしばらく保留である。

いずれにしても,それらのダキニ文字はチベットの古代の文字そのものであるか,または少々改変が加えられたものであることは疑う余地がない。埋蔵経典発掘者たちが「ウディアナの文字である」「羅刹の文字である」などと何かにつけて言う*9が,言語はチベット語そのものであって,他の言語ではあり得ない*10。チベット語を羅刹の文字で書く理由もなければ,もしも書いたとしても,前置字や後置字などをチベット語の通りに正しく書くことはできないに違いないのである。

後伝期の訳経師たちが将来したインドの経典でンゴル寺やシャル寺などに安置されているものは,ランツァ文字やワルトゥ文字[で書かれており]現在のよく知られているものとは形が少々一致しないという程度のものばかりで*11,グプタ文字で書かれたものは見当たらない。ンゴル寺で[見た]断簡*12には,下記のような文字が書かれていた。【illust.】[この形の文字は]インドでグプタ王朝期のある石像の台座に実際に見られるので,それも当時のある地域の文字だと言える。そもそもここインドでは,数多の王様が[政権を]掌握したが,それらはまた互いに敵対関係にあったものばかりであったためであろうか,地域毎に言語も文字も異なるというようになっている。法[の政治をおこなった]アショーカ王は,インド全域の王となり,このときにすべての地域において文字が一つ[になった。]あるいは[別の言い方をすれば]インド全域の様々な地域にある王の石柱はマウリヤ文字のみで書かれているのである。

そういうわけで,ここに記したグプタ文字は,グプタ王朝の領土において広がりはしたが,インド全域のものであるとは考えないようにしよう。

コメント  


*1 oM yig tu 'dug:オームの文字として存在する
*2 srol du 'dug:習慣としてある
*3 rnam bcad
*4 sog bzlog pa blo gros rgyal mtshan, 1552-1624
*5 tsheg drag
*6 bshad bris mgyogs tsam khyad par yin /
*7 mkha' 'gro'i brda yig
*8 shog ser:黄色い紙の巻物。ニンマ派の一つの系統にshog ser tshig brgyudというのがあり,その教えはshog serに書かれて埋蔵されたという。RY
*9 smra khams mang po byas kyang:第一章にもsmra khams byaというのが出てくるが...
*10 sgros mi snang:〜である方法が見られない
*11 mi mthun pa tsam las
*12 shog 'khyar

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