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チベットの重要な王統記

テキストについて  

date1939.7.17
type論文
authordge 'dun chos 'phel(ゲンドゥンチュンペー)
paper titlebod kyi rgyal rabs gal chen/(チベットの重要な王統記)
journal titleyul phyogs so so'i gsar 'gyur me long/(The Tibetan Newspaper Yulchog Sosoe Sangyur Melong)=Tibet Mirror
journal volumeX-10
page7
editorTharchin(タルチン)
publisherTibet Mirror Press
commentマイクロのデータあります。ただしかすれがあり,最後の部分がかなり読みにくい。

本文  

翻訳:星泉 2004.4.4

かつてチベットにも詳細な王統記はあまた存在したはずである。後世になって我が民族の大半は,年代などが明示されたほんの一握りの王統記や歴史書を軽視し,一日で一千万の仏塔が建立されただの,一時間で全世界が回ったなどという不可思議な話ばかりに走り,次第に我らが歴史書や王統記は虹のごとく消え去った['ja' lus grub]。ソンツェンガンボ王が鉄馬の年にお生まれになったなどの年代は概略(を知ることができる)のみで,この年のこの月にこのようなことをなさったなど(が明記された),中国やイランなどの歴史書のようなものは一つもない。

今残っている王統記などの中にわずかに明記されているものとしては,ツェーパ(・クンガドルジ)による紅冊,グー翻訳師による青冊,プトゥン仏教史などである。紅冊にはチベットの王統がやや詳しく書かれているが,これもまた中国の王統記から翻訳されたものである。青冊にはチベットの王統については合わせて五,六ページしか(書かれてい)ない。ロタク・パオ(ツクラクテンワ)の仏教史(=「賢者の宴」)には代々のツェンポ?[btsan po yab sras]が仏教に危害を与えないという誓いを立てたことを実例として挙げている?[mna' bzhes pa'i dpe dngos la zhus pa]など,いくつか重要なことが書かれているが,そこにやや詳しく王統記が書かれているのはみな,バシェーから取ったものである。バシェー,ギェーシェー?[rgyal bzhed],ラシェー?[bla bzhed](パシェー?[dpa' bzhed])にも本物と贋作がある。贋作のほうは「足の付いた」バシェーと言う。唐書などにも古い王統記に少々触れられているものがあったかと思う。これ以外には,他の後世のドゥクパ(仏教史)やスムパ(仏教史)などの詳しい王統記などには他の新しい話は全くない。あるとしてもラマの伝記ばかりである。昔のこれらのものからつなぎ合わせて,簡素に解釈した程度のものである。

他の国の王統記にチベットについて書かれているものがあり,中国の歴史書には相当詳しく書かれている。イランの王統記にも少し書かれていると言う。今,サムイェやラサ,シューなどや,一部の仏教の聖地には,古代の石碑が壊れずに残っている。しかし,多くの石碑は石に打たれて,ラサのティ・レパチェンの石碑では王の名前も消えてしまった。そう遠くないうちに,これらの石碑も破損するようなことになったとき,これらの石碑の碑文は今のどの王統記にも本文を書き取ったものがないので,非常に●●●<かすれ判読困難>な状態となっている。シュー 碑文には,ティソン(デツェン)の御代に中国軍を●●<かすれ判読困難>し,中国から税を徴収していたことについてなどが書かれている。

ゲンドゥンチュンペー

翻訳メモ  

brdzu ma
dngos maに対して贋作の意?LTWAのWhite Annalsによると,sBa-bzhad Zhabs-btags-maは,"sBa-bshad with Addenda"と説明している。説明者は翻訳者のサムデンノルブ。
  • 本文には段落なし。二シェーのところで段落としました。

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