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〜 GC_horkhang_5 〜

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第5章 エピローグ 

[5-01] p.566 

[前章までに]ゲンドゥンチュンペー先生がどこで生まれたか,学問の真髄をどのように学ばれたのか,歴史や文化に関する深遠な著作をどのように執筆なさったのか,祖国をどのように愛し,帝国主義者に対しどのように抵抗なさったのか,そして最後に長生きできなかったのは何故か,などについて述べた。それらをもう一度振り返ってみると,先生は世の中の新しい制度を高く評価する方であり,反帝国主義の素晴らしき愛国者であり,究極の学者であることがよりいっそうはっきりと見てとれる。 (ダワ・ツェリン+小沢)

[5-02] pp.566-570 

(pp.566-568)

また先に先生のなさったことを詳しく述べたところに表れているように,この偉大な学者は自民族の営為を尊重し,わが国領土に帝国主義者が魔の手を伸ばすという不穏な行動に対し直接間接的に挑み続けることを忘れなかった。またチベットの古い習慣を批判しつつ新制度の特長を賞賛し,将来このチベットが祖国と一丸となって発展する過程についてお考えになった。そうした様などいずれの点にも表れている[通り,先生は]国を愛し帝国主義者に抵抗したの[であって,それ]が,帝国主義者とかつてのチベット地方政府内の少数の親英派の利益と真っ向から対立するものであったので,彼らの共謀により耐え難い苦痛を与えられた。そのため長命を保つことができなかったのである。[そうした]一連の事実において,先生が新しい社会制度を評価するよき反帝愛国の人士であったことは,前よりはっきり示されているのではないだろうか。

また『白史』をはじめとする著作の執筆に際しての文体など,稀なる特長についても[ふれておこう。それは],我が先人の学者たちが王統記や宗教史を書く際に必須不可欠であった,歴史文書を多数参照しその要諦をうまくまとめるという特長を完全に備えていることである。またさらに先生には特にたぐいまれな特長,特質があって,たとえば歴史書を執筆する際,あるいはそれ以外のものをお書きになる場合も,まず述べようとする対象を徹底的に考察研究して初めて,述べる内容を最大限正確に決定するのであって,理にそわなかったり調べることなく過去の言説にまどわされ道を踏み外したりするといったことは,絶えてなさらなかった。また[敦煌出土の]古文書や古代に建てられた石碑など重要な歴史的遺物にはさらに一層の関心を寄せられ,英文やインドの文字など外国語で書かれた歴史や科学知識もたんねんにご覧になった。知識の対象である限りささいなものでも捨てさられることのないよう関心を持って学んだ。それはまるで大海が小川[の水]を集めるかのようなひたむきさだった。 (浅井)

(pp.568-569)

さらに,歴史の問題については,宗教と政治をきわめて截然と区別し,史実をありのままに書いたのであって,各時代の要請によって生じた事実の歪曲をも,ハンサ鳥*1が水と牛乳をはっきり分けられるがごとくにえり分けた。そうしたきわめて優れた知識の数々は,私たちが意識的に学びとるべき特質であることは言うまでもない。 そうした先生の姿勢がよく現れている著書である「白史」は,価値を認めるべきところが多くあるが,その中でも最も重要な点について取り上げると,ツェンポ時代の歴史[について記された]敦煌文書を,入念かつ徹底的な態度で,ツェンポの年代記などに記された歴史上の重要な問題などについて,古代の史実にそった正しい結論を導きだされた。わが国を顧みても,チベットの学問研究にあたって敦煌文書を利用なさった方は先生が初めてであった。 (海老原)

(pp.569-570)

さらに現代においては,先生が歴史の重要な問題を時代毎に順序立てて導き出した的確かつ明確な結論は,史実をめぐって試行錯誤を重ねたものであり,かつ信頼の置けるものであることから,先生の著作は国内外の数多くの研究者によっても[必須の]基本文献と見なされている。そして個々の研究者は,取り上げたいと考えた問題について結論づける際に自分の議論の正しさを証拠づけるものとして,『白史』の記述内容を[今もって]引用し続けているのである。

また,『白史』では,七世紀頃から仏教の面ではチベットとインド両国間の関係があり,特に政治面ではチベットと唐王朝の両国が深い関係を持っていたこと,そしてそれが後に十三世紀にこのチベットが祖国の大家族の中に事実上組み込まれる堅固な礎となったことなどについて,計り知れないほど価値の高い分析をなさっただけでなく,我がチベット民族の偉大さと智慧と気概などに[も]計り知れない貢献をなさっている。それら[の功績]については誰もが非常に高く評価している。

これらの真実をもって先生が後世に[おいても認められる]紛れもない真の学者であると[曲がりなりにも]結論づけることができたところで,締めくくりの話はこのあたりで終わりとする。 (星)

[5-03] p.570 

《跋文》 

言葉運びの豊かさ*2では極めて劣るが
心を尽くし,[この偉大な]学者の業績を
記念する月のごとき伝記*3
今あらゆる人々を魅了する誉れとして書き上げた

偽りの賛辞や嘲笑に惑わされることなく
期待と不安におびえる懸念を捨て[書きました]
韻律や言い回しにつたなさはあるけれども
賛否いずれでも結構ですので皆様お読みください

深遠な知識に支えられた力量と中庸の心[を持ち]
聖俗両様をしかとご覧になれる方々にとっては
どんなにか多くの誤りがあることでしょう
速やかに忌憚ないご意見をくださいますよう,ああ!

この『大学者ゲンドゥンチュンペー伝』*4は,先生の足の塵を身近に受ける縁を得た末弟ホルカン・ソナムペンバーが,第十六ラプチュンの戊申*5の年(西暦1980年*6)に原稿にまとめ,その後壬戌の年(西暦1982年12月21日)に加筆修正をして完成させたものである。

吉祥あれ。

(星)


*1 「ガチョウ,白鳥,フラミンゴなどを示し,場合によっては単に神話的な鳥を示す。『リグヴェーダ』ではソーマ酒(祭祀用の酒)と水との混合液をそれぞれに分ける鳥とされるが,後代の文学では乳と水の混合液を分ける鳥とされる。」(梵英辞典「モニエル」による: 加納さん訳) 
*2 sdeb sbyor tshig gi 'byor paの訳として。蔵漢大辞典などに「声律学」などとあるsdeb sbyorを「言葉運び」と敢えて訳してみたがどうか?
*3 rnam thar zla bzhin ma。zla bzhin maとは?
*4 yang dag pa'i snang baをどう訳すか。本文のタイトルにはyangはない,これもどう考えるか?
*5 「戊申」は原文表記sa pho sprel(土男猿年)に基づくものであるが,1980年はlcags pho sprel(鉄男猿年)に対応するため,ここは「庚申」の誤りである。
*6 ホルカン・チャンバテンダー氏によると,1980年5月29日のことだったという。著者自身の記録による。

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