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〜 GC_script 〜

認識ちゅん平会?

ウチェンからウメーは自然に生まれたものである

テキストについて  

date1938.1.2
type論文
authordge 'dun chos 'phel(ゲンドゥンチュンペー)
paper titledbu can las dbu med rang byung du grub pa/(ウチェンからウメーは自然に生まれたものである))
journal titleyul phyogs so so'i gsar 'gyur me long/(The Tibetan Newspaper Yulchog Sosoe Sangyur Melong)=Tibet Mirror
journal volumeIXの1〜12のどれか
page
editor
publisherTibet Mirror Press
commentThe Tibet Journal 3-1, 1983 pp.56-57にK.Dhondupによる英訳と原文の写真が掲載されている。これを見て翻訳。星が持っているマイクロフィルムには残念ながら欠。K.Dhondupの論文に先んじて,The Tibet Journal Volume VII No.3 1982に,Ngawangthondup Narkyidによる論文があり,GCのこの論文をサポートする論を展開している。その論文によると1936年にもGCはチベット文字に関する論文をTibet Mirrorに寄稿しているようである。

本文  

翻訳:星泉 2004.4.4

大臣トゥンミがチベット文字を新しく作ったとき,ランチャ文字に合わせてウチェンを作り,ワルトゥ文字に合わせてウメーを作ったと言われているが,これは後世の口先の達者な一部の者が勝手にねつ造したものであろう。グー大翻訳師など昔の歴史家は,(そのようなことは)少しもおっしゃっていない。一切智プトゥンも,カシミールの文字をもとにチベット文字が作られたと言っているだけで,ウチェンとウメーが最初から作られたとはおっしゃっていない。

そもそもランツァ文字をもとにしたというのが全くもって誤りである。ランツァは後に新しくできた文字なのである。さらに,古代のアーリア人たちや仏陀の御代,マウリヤ朝の時代,グプタ朝などの全ての時代において,マガダ字体は,かなり様々な形のものが順に現れ,それが各王の石碑や銅板文書などに今もそのまま見ることができるからである。

したがって,トゥンミが基礎にしたインドの文字が何だったかと言うと,詩聖カーリダーサやクマーラグプタ王(,スーリヤヴァルマン王?[rgyal po nyi ma'i go cha])などの,いずれかの時代の文字であると時期を定めることもできるのは,当時の石碑や銅文書を,インドのパンディタたちにさえ読むことができなかったのを,インドの文字を一つも知らないチベット人にも半分ほどは読むことができた(という事実がある)からである。

ウメーはウチェンを速書きすることにより自然にできたものであり,我がチベットの古文書の字体は,下の表に記されている字体に似ている(→原文には「クマーラグプタの銅文書」として,そこに記されたチベット文字によく似た文字が提示されている)。ブータンなどでは,それと形が非常によく似た文字が今も使われている。 正統な埋蔵経典には,ダーキニーの秘密文字と言われるものがたくさんあるが,これもたいていは古代の字体ばかりであり,また埋蔵句点もまた,古文書には句点として上下二つの点が常に用いられる習慣があったためである。

ああ,有雪国(カワチェン)に知られていない
このような話(カタム)を書いても
能力(カタプ)も外見も良くないので
私の言葉(カ)に耳を傾ける人が現れるはずもない

ダルマという名前のものより

翻訳メモ  

'gor lo chen po
'gorは'gosの誤り。グー大翻訳師(グー・ロツァワ・シュンヌペー,1392-1481,『青冊』の著者。)のこと。
slob dpon nag mo khol
カーリー女神の下僕先生。すなわち,古代インド(グプタ朝)の大詩人,劇作家カーリダーサ(四世紀中葉〜五世紀初頭の人)のこと。
rgyal po gzhon nu sbas po
隠された息子王。すなわち,グプタ朝のクマーラグプタ王のこと。カーリダーサと同時代とすると,クマーラグプタ一世(約414から455年)のことか?
rgyal po nyi ma'i go cha
太陽の武器王。グプタ時代後期のベナレスあたりのマウカリ朝の王様か?だとすると500年代のはじめから半ば頃で南ビハールあたり。あるいは,「太陽の武器」はクマーラグプタの別名zriizakraaditya(室利鑠羯羅日+失底)か?すると前からの名前の続きということになるが?zakraは「強い」という意味でインドラ神の名前に用いられるのが仏教文化圏では一般的で,これが武器と訳されてしまったのかもしれない。
  • 王の名前についてはAA研高島淳氏にご教示いただきました。
  • 本文には段落なし。二シェーのところで段落としました。

その他メモ  

  • 『世界知識行』や『白史(白冊史)』には同じテーマのもう少し詳しい記述がある。
  • GCの弟子であったナルキー・ガワントゥンドゥプ氏がこの論文を支持する論文をTibet Journalや,Contributions on Tibetan Language, History and Culture (1983)の中で発表している。後者の論文は三省堂の『言語学大辞典 文字編』のチベット文字の項で紹介されている(p.600)が,元をたどればこの説を最初に出したのはGCということになる。

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