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[チベット史年表/1683-1707] の変更点


 #navi(チベット史年表)
 *&size(18){&color(Silver){(10) }; ダライラマ6世代}; [#j1e0b43b]
 
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 **1684 [#ma7ad262]
 +チベット
 --ダライラマ、ラダック王がその地のゲルク派僧院をたびたび攻撃するため、ダライ・フンタイジの息子ガンデン・ツェワンにチベット兵とモンゴル兵の混成部隊をつけてラダックへ派遣。ブータンの高位活仏の仲介で、ラダックはグゲ、プラン、ルトク地域をチベットへ返還、3年ごとにラサに朝貢することに同意。これによりチベット=ラダック間の国境制定【シャカッパ:151-152】
 +周辺
 --北京版カンギュル再版【山口1988:314】
 --《中国》北京版カンギュル再版【山口1988:314】
 +メモ
 
 **1686 [#vd568b2a]
 +チベット
 --ハルハ左右翼紛争調停に、ダライラマの名代としてガンデン寺座主が出席。この時左翼のジェブツンダンバがガンデン寺座主と同じ高さの座を占め、あらゆる点で対等に振舞ったことに、ガルダンが激怒【岡田S54:27-28】康熙帝、ダライラマが全モンゴル人に影響力があると考え、ダライラマ政権と共同で長引くハルハ左右翼の不和調停に乗りだす。チベットはダライラマの名代としてガンデン寺座主を派遣。講和会議で左翼トシェート・ハーンの弟ジェブツンダンバ・ホトクトが座主と同じ高さの席を占め、あらゆる点で対等に振る舞ったことに、ガルダンが激怒【宮脇1995:206-207】
 +周辺
 +メモ
 
 **1688 [#h794198e]
 +チベット
 --ガルダン、ハルハ諸酋を討つ【山口1988:xvi】
 +周辺
 --《モンゴル》ガルダン、ハルハ諸酋を討つ【山口1988:xvi】
 +メモ
 
 **1689 [#zd1f1eb1]
 +チベット
 +周辺
 --[初め]ジューン・ガル国内が、ガルダン派とその甥ツェワンラブタン派に分裂し、内戦状態に【岡田S54:32】
 --康熙帝とピョートル大帝との間にネルチンスク条約成立。清とロシアの国境をアムール河の上流部、ゴルビツァ河の線と決定【岡田S54:24】
 --《モンゴル》[初め]ジューン・ガル国内が、ガルダン派とその甥ツェワンラブタン派に分裂し、内戦状態に【岡田S54:32】
 --《中国・ロシア》康熙帝とピョートル大帝との間にネルチンスク条約成立。清とロシアの国境をアムール河の上流部、ゴルビツァ河の線と決定【岡田S54:24】
 +メモ
 
 **1690 [#u36f083d]
 +チベット
 +周辺
 --[9月4日]ウラーン・ブトン(北京の北方300キロメートル)でガルダン軍と清軍が衝突。ジューン・ガル側優勢のうちに、講和【岡田S54:34】
 --康熙帝、ガルダンを討つ【山口1988:xvi】
 --《モンゴル・中国》[9月4日]ウラーン・ブトン(北京の北方300キロメートル)でガルダン軍と清軍が衝突。ジューン・ガル側優勢のうちに、講和【岡田S54:34】
 --《モンゴル・中国》康熙帝、ガルダンを討つ【山口1988:xvi】
 +メモ
 
 **1691 [#hdc666b3]
 +チベット
 --ダライラマ5世の霊廟をふくむポタラ紅宮造営はじまる【山口1988:xvi】
 +周辺
 --[5月30日~6月4日]ドローン・ノール会議(前年清朝に降ったハルハ首長らに対する、康熙帝の謁見式)【岡田S54:34】
 --《中国・モンゴル》[5月30日~6月4日]ドローン・ノール会議(前年清朝に降ったハルハ首長らに対する、康熙帝の謁見式)【岡田S54:34】
 +メモ
 
 **1696 [#f304e416]
 +チベット
 +周辺
 --ガルダン、滅ぼされる【山口1988:xvi】
 --《中国・モンゴル》ガルダン、滅ぼされる【山口1988:xvi】
 +メモ
 
 **1697 [#c0e6a757]
 +チベット
 --ダライラマ5世の死を正式に報告する使者が清の朝廷へ【シャカッパ:160】
 --ダライ・ハーンの子ラサン・ハーン、チベット王を継ぐ【宮脇1995:212】
 +周辺
 --[4月5日]ジューン・ガルのガルダン・ボショクト・ハーン(ウェンサ・トゥルク4世)、54歳で没【岡田S54:180】
 --《モンゴル》[4月5日]ジューン・ガルのガルダン・ボショクト・ハーン(ウェンサ・トゥルク4世)、54歳で没【岡田S54:180】
 +メモ
 
 **1700 [#s2fee93e]
 +チベット
 +周辺
 --北京版カンギュル再版【山口1988:314】
 --《中国》北京版カンギュル再版【山口1988:314】
 +メモ
 
 **1702 [#n41989eb]
 +チベット
 --ダライラマ6世、沙弥戒返上をパンチェンラマに申し出。三大僧院僧院長やグシ汗の孫息子ラサン汗らが翻意を説得【シャカッパ:161-162】
 +周辺
 +メモ
 
 **1705 [#jbbb5d9a]
 +チベット
 --ラサン汗、青海に追放され、反転してサンギェー・ギャンツォを襲い殺しチベット王になる【山口1988:xvi】ラサン汗とサンゲェー・ギャツォの争を仲裁しようと開かれた会議で、汗はココノールに戻りそこでチベットとの友好関係を維持すべきと決定。汗はココノールへ戻ると見せかけてラサヘ向けて進軍。ダライラマの調停で、サンギェー・ギャツォはラサから追放。道中汗により殺害。汗はラサ入りし、政権完全掌握。有力なチベット人がラサン汗を支持し始める【シャカッパ:164-165】ダライラマ政権の公議会で青海に帰るよう要請されたラサン・ハーン、青海に退くかのように見せ、ナクチュカまで北上したのち、兵を集めてラサに反転。あわてた公議会はサンギェ・ギャツォを引退させ、実験をラサン・ハーンに渡すことで調停を図るが、ハーンは約束を破ってサンギェ・ギャツォを捕らえて殺害【宮脇1995:213】
 +周辺
 +メモ
 
 **1706 [#b5bd4e86]
 +チベット
 --〓〓汗、不行跡を理由にダライラマを軟禁。人々は商店や家々を閉じて抗議の意を表明するが、モンゴル兵の存在を前にして手出しはできず【シャカッパ:165】
 --ラサン汗、不行跡を理由にダライラマを軟禁。人々は商店や家々を閉じて抗議の意を表明するが、モンゴル兵の存在を前にして手出しはできず【シャカッパ:165】
 --6世廃位および流刑決定。清皇帝とラサン汗は同盟関係にあり、ジュンガル族と友好関係にあるチベットの内政に興味を示し始めた【シャカッパ:166】
 --[11月]ダライラマ、青海西南部のクンガ・ノール湖畔に24歳で没【宮脇1995:213】
 --ダライラマ6世、清に拉致される途中、青海南クンガノール湖畔に没す【山口1988:xvii】
 +周辺
 +メモ

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