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〜 ro sgrung notes 〜

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ro sgrungについて触れているチベットの古典文献 

  • [chos 'byung mkhas pa'i dga' ston/]
    • [ja] 8b-9a
    • [mdo sde 'byung ba'i ltas su sgrung rnams dar/  ] [ro langs gser sgrub kyi sgrung dang/ ] [ma sangs kyi sgrung dang/ ] [mchil pa'i sgrung sogs nyan bshad dang/]
  • 他にも,bka' chems ka khol ma とか,rgyal rabs gsal ba'i me long,deb ther sngon poなどに記述があるらしい。(『藏族文学史』四川民族出版社,1985年)

ro sgrungに関する解説 

スタン『チベットの文化』決定版 

  • pp.228-229
  • 「物語」(sgrung)は、疑いもなく「人間の宗教」のこのような語り物の一部だったのである。ある非常に信頼すべき歴史家は、その一例としてマサンの物語を示してくれる(*注215:mkhas pa'i dga' ston, ja, 8b-9a)。この物語は、サキャその他の貴族たちが自分たちをその流れだと称している当のマサンの九氏族(神の類)の起源について論じたものである。物語そのものは昔は独立に存在していたのだが、のちに、インドの屍鬼物語を中核としてラマ教の物語集ができあがると、その中に編入されてしまったのである。それでもなお、この物語のテーマのいくつかは、現に、叙事詩の中に個別に見いだされる。乳の王マサンは人間の男と牝牛とが交わってできた牛頭の人間である。彼は悪魔に対する神の戦いに加わって、神を助け、代償として、天地を治める天の息子を地上に派遣してもらうことになるというのである。
  • p.309
  • 何人かの優れたインフォーマントの助けをかりて、一部の口承文学(叙事詩や諸説話、中でも屍鬼物語集Ro-sgrung)をテープレコーダーに録音することができた。しかし、これらの資料はまだ十分調査利用されてはいない。
  • p.339
  • この派(=カダム派)の創始者であるアティーシャ(982-1054年,1042年以来チベットに滞在)は,『二十五屍鬼物語』(ro-sgrung)というインドの物語集の普及につとめた。この物語集の枠物語は,まずバラモン教的なものから仏教的なものに変えられた−−−その改変はすでにインドで行われたものであろうか−−−が、それを行ったのは主に(タントラ教の)ナーガールジュナであるとされている。伝承によると、このナーガールジュナにはむかしからたくさんの文学作品(演劇など)が帰せられている。その後,何世紀もたつうちに,インドの伝説は次第に追いはらわれ,チベットの伝説にとってかわられた。古来土着のマサンの物語は,今日ではチベット版,モンゴル版の第三番目の物語となっているが,むかしはそれだけで独立していたものであった。
  • p.342
  • ラブランの大学者ラマ・グンタン・テンペドンメ(1762--1823)の(11巻の)著作のうちに、いろいろな小論(例えばタバコの害に関するもの)や森の論書(shing gi bstan bcos)、いま1つ水の論書、第3は演劇についてのもの(zlos gar)、それに屍鬼物語(Ro sgrung)の断片が見られる。演劇の「概論」は4人の僧、インド人、チベット人、モンゴル人、中国人が交わす宗教的な会話で構成され、4人はそれぞれの言葉を話し、会話はチベット字の転写と翻訳が併記されている。

『藏族文学史』 

  • pp.76-83(ro sgrung言及箇所)
  • 口頭伝承以外にも,写本や木版本がいくつも存在する。
  • 大きく分けて十三章本,十六章本,二十一章本の三種類がある。
    • 十三章本としては青海版写本
    • 十六章本としてはデルゲ版木版
    • 二十一章本としてはラプラン版木版およびチベット版写本
  • 三十五種類の異なる話がある
  • 序章には二種類の話がある。

『金玉鳳凰』 

  • 『金玉鳳凰』(田海燕編著。Link) 1961.12(初版)1962.4(1次) 2+39話)
    1954年春季西蔵代表団を三峡に送り、捜集開始。1956年夏季整理開始。1957年春季研究開始。以後1958より八年近くにわたる。(この項は『金玉鳳凰』p220の記述より)
  • 『金玉鳳凰 (二)』(田海燕・芻燕編著)
    • pp.295(芻燕氏の后記)より引用
      《貝神通的故事》(四川徳格十六回木刻本)
      《貝神通的人屍故事》(青海十三回手抄本、亦称安木多十三回繕本)
      《人屍変金的故事》(甘粛夏河県拉卜楞寺二十一回本)
      《起屍変金的仏法故事》(西蔵二十一回手抄本)
      《仏法故事二十一則》(西蔵二十一回手抄本)
      山南qiong結二十一回手抄本
      堯西、朗頓珍蔵繕本(二十三回)
      浪qia子七回手抄本
      拉薩口語十五回油印本
      《屍語故事》(西蔵人民出版社一九八〇年四月拉薩第一版、二十一回本)
      《説不完的故事》(青海民族出版社一九七八年十月版、二十四回本)

「斑竹姑娘」 

  • 『金玉鳳凰』所収の「斑竹姑娘」という話は、話の類似性から『竹取物語』の起源となるものではという議論が、1970年代初頭に起こった。
  • 百田弥栄子「竹取物語成立に関する一考察」『アジア・アフリカ語学院紀要』3、1972年。
    • 『竹取物語』は「斑竹姑娘」の翻案であるとした初めての論。百田による「斑竹姑娘」の翻訳は後、野口元大(校注)『竹取物語』(新潮日本古典集成)、1979年に収められた。
  • 伊藤清司『かぐやひめの誕生 −古代説話の起源』(講談社現代新書)講談社、1973年。
    • 伊藤清司は百田の論文を指導した人物。あまり世に知られなかった『竹取』「斑竹姑娘」翻案論を知らしめた。
  • 君島久子『チベットのものいう鳥』岩波書店、1977年。
  • 益田勝実「「斑竹姑娘」の性格 −『竹取物語』とのかかわりで」『法政大学文学部紀要』33、1987年。
  • 『金玉鳳凰』の第1集「前記」、第2集「後記」によりその改訂過程を検討。チベットの説話に類例のない孤立した「斑竹姑娘」は田氏の創作ではないかと疑いながら、『竹取』=「斑竹姑娘」翻案説に対して慎重な意見を述べる。

その他 

  • 『西蔵歴史文化辞典』の「《屍語故事》(mi-ro-ytse sgrung)」(p234)に1000字弱の説明。

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