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〜 チベット史年表/1617-1682 〜


(09) ダライラマ5世代  

1617161816191620162116221623162416261627162816301630頃16311632163416351636163716381639164016411642164316441645164616471648164916501651165216531654165516561657165816591660166116621664166616681669167016711672167316741676167816791682

1617  

  1. チベット
    • ダライラマ没。デープン僧院、父親(モンゴル人)、施主の1人モンゴルのトゥメト・タイジの間で分骨【シャカッパ:124】
  2. 周辺
  3. メモ
    • ダライラマ没年は,1616年か?【山口1988:95】【山口1988:xvi】

1618  

  1. チベット
    • シンシャクパ,デープン・セラ両大僧院を侵す【山口1988:xvi】
    • ゲルク派強硬派、カルマ紅帽派に対抗するため、トメトのホロチの息子たちを扇動しラサを占領させる【宮脇1995:183】
  2. 周辺
  3. メモ

1619  

  1. チベット
    • 1605年に駆逐されたモンゴル兵、巡礼者を装いラサへ。彼らがゲルク派支持者であるため、デープン、セラの僧侶はその帰還に期待するが、モンゴル人はラサから少し離れた場所に陣営を張ったのみ【シャカッパ:127】
  2. 周辺
  3. メモ

1620  

  1. チベット
    • モンゴル人、ツァン地方の2陣営を突如襲撃、ツァン軍兵士の大半を殺害。別のツァン軍もモンゴル人との戦闘を準備【シャカッパ:127-128】
    • キシュ管領の画策でモンゴル軍が来襲。ラッサのキャンタンガンで勝利を収め、キシュ管領と黄帽派強硬派が復権【山口1993:17】
  2. 周辺
  3. メモ

1621  

  1. チベット
    • 青海のドロン・トゥメット軍、ラッサのキャンタンガンでシンシャクパ軍を破り、パンチェンラマ1世が調停に入る【山口1988:xvi】
    • モンゴル軍、ダライラマ5世を守り、以降数度にわたってツァン軍と対峙【スタン:82】
    • 11年ツァンを支配したプンツォク・ナムギャル没。16歳の息子カルマ・テンキョン・ワンポが後を継いだ。一時的にツァンとウーの軍事対立緊張緩和【シャカッパ:128】
  2. 周辺
  3. メモ

1622  

  1. チベット
    • [3月18日]チョンギェー氏出身のダライラマ候補、パンチェンラマの手で剃髪を受けロサン・ギャンツォと名づけられる【山口1992:131】
  2. 周辺
  3. メモ

1623  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《》ジャン版カンギュル,カルマ派指導のもと開版される【山口1988:xvi】
    • 《モンゴル》4オイラト連合軍、ハルハのウバシ・ホンタイジを殺して支配を脱す【宮脇1995:264】
  3. メモ

1624  

  1. チベット
    • イエズス会のアンドラデ神父、ツァプランに入りグゲ王と会う【山口1988:xvi】
    • アントニオ・アンドラデ神父,グゲの首都ツァパランで歓迎され、1631年まで滞在【スタン:83】
  2. 周辺
  3. メモ

1626  

  1. チベット
    • カトリックの伝道師,カブラルとカセルラ,ツァンの支配者の歓待を受ける(-1632)【スタン:83】
  2. 周辺
  3. メモ

1627  

  1. チベット
    • ブータンに滞在していたイエズス会ポルトガル人宣教師エステヴァン・カセーラ、ジョアン・カブラルがシガツェ入り、デスィー・ツァンパ(ツァン派摂政)、カルマ・テンキョンが迎える。布教は不成功。カルマ・テンキョンは2人に友好的だったが、カルマ派の僧侶は宗教上の観点から反対。2人はネパールへ(2人は中央チベットに入った最初のヨーロッパ人)【シャカッパ:128】
  2. 周辺
  3. メモ

1628  

  1. チベット
    • イエズス会のカブラル・カセーラ両神父、ツァン王カルマ・テンキョン・ワンポに会う【山口1988:xvi】
  2. 周辺
    • 《モンゴル》(モンゴルの宗家チャハル部の)リンダン・ハーン、モンゴル語大蔵経を編纂させる(-1629年)【山口1963:744,759】
  3. メモ

1630  

  1. チベット
    • カセーラ、シガツェへ。到着後1週間で病没したため、カルマ・テンキョンが当時ネパールにいたカブラルを呼ぶ【シャカッパ:128-129】カセーラ、シガツェに没す。カブラル、伝道を放棄【山口1988:xvi】
  2. 周辺
    • 《モンゴル》オイラトの内乱を避けて、トルグート部がヴォルガ河畔へ移住する【宮脇1995:264】
  3. メモ

1630頃  

  1. チベット
    • ラダック、グゲを亡ぼす【スタン:83】
  2. 周辺
  3. メモ

1631  

  1. チベット
    • カブラル、シガツェ着【シャカッパ:129】
  2. 周辺
  3. メモ

1632  

  1. チベット
    • カブラル、シガツェより退去【シャカッパ:129】
    • ハルハ・チョクトゥ汗、青海地方を制圧【山口1988:xvi】カルカのチョクトゥ汗、青海に侵入しトゥメト・ホロチェ一党、ユンシャプ、オルドス勢力を滅ぼす【山口1992:132】リンダン・ハーンと呼応してチベット遠征に向かったハルハ部のチョクト・ホンタイジ、青海にいたり、トメト、ヨンシエブ、オルドス勢力を滅ぼし、青海に覇をとなえる【:】
    • ソクポのカルカ、ツルプやディグンを荒らす【山口1992:132】
  2. 周辺
  3. メモ

1634  

  1. チベット
    • ゲルク派支持のトゥメット、オルドスをリンデン汗に抑えられる。チャハル・リンダン汗、青海入りを前に痘死【山口1988:xvi】ツァン王と盟約したリンダン・ハーン、チベット遠征のため青海に向かう途中、シラタラで病死【宮脇1995:184】
    • カルマ宗信者チョクト・ホンタイジ、ハルハ左翼の地から南下し東北チベットの青海省を占領【岡田S54:12】チョクトゥ汗の子アルサラン、カルカのアカイダイチンを謀殺し、青海地方を独占【山口1992:132】
    • チョナン・ジェツン・ターラナータ(1575-1634)没【TBRC】
  2. 周辺
  3. メモ

1635  

  1. チベット
    • ツェテン・ドルジェ以来ツァン派王族と親密な友好関係にあったチョクトゥ族の首長、ゲルク派壊滅させようと息子のアルサランを1万の兵とともにチベットへ派遣。グシ汗がそれを阻止。会談の結果アルサランが計画変更し、私設護衛兵のみ率いてラサ入りし、ダライラマと対面。ゲルク派を害することはないと約束【シャカッパ:130】チョクトゥ汗、アルサランを派遣してゲルク派を襲わせたが、懐柔される。ゲルク派、グシ汗と同盟【山口1988:xvi】カルカ部アルスラン・カーン、ダム付近でカルマ派攻撃。後、父により処刑【スタン:82】
    • [11月4日]ハルハ左翼ゴンボ・トシェート・ハーンの三男誕生。ターラナータの転生と認定される【岡田S54:10】
    • ハルハ地方にてターラナータの転生者としてジェブツンダムバ・ホトクト一世誕生【Smith:120】
  2. 周辺
  3. メモ

1636  

  1. チベット
    • グシ汗、チョクトゥ汗を青海に破る【山口1988:xvi】グーシ・ハーン、ゲルク派の求めに応じ、青海遠征に向かう【宮脇1995:184】
  2. 周辺
    • 《中国》後金国のホンタイジが内モンゴル族からハーンに推戴され大清皇帝となる【宮脇1995:264】
  3. メモ

1637  

  1. チベット
    • [春]グシ汗、モンゴル首長パートゥル・フンタイジと同盟しココノール湖近くのチョクトゥ族陣営を襲撃。ナムツォ近くに陣営を張っていたチョクトゥ族は、自部族の全滅を知ってその地にとどまり、遊牧民として定着【シャカッパ:131-132】
    • クシ・カーン、ココノールに拠り、手始めにカムのペリ王国を滅ぼし、続いてカム全土を従えて雲南に至る(1641)。1年後にはツァン地方の支配者を倒し、全チベットの支配権をダライラマに譲り、摂政も任命【スタン:82】オイラト族ホシュート部族グシ・ハーン、チョクト・ホンタイジによる青海占領の危機に際したダライラマの要請に応じ、ジューン・ガル部族ホトゴチン・バートル・ホンタイジと友に青海に進軍。チョクト・ホンタイジを殺害【岡田S54:12】グーシ・ハーン、カルマ紅帽派の信奉者であったハルハのチョクト・ホンタイジの3万の軍を殲滅【宮脇1995:184】
    • [冬]グシ汗、中央チベットに来てダライラマから「護教法王」の称号と印璽などを受ける【山口1992:133-134】グーシ・ハーン、ウイ(中央チベット)にいたり、ダライラマから持教法王(テンジン・チョーキ・ギェルポ)の称号を授かる【宮脇1995:184】
  2. 周辺
    • 《モンゴル》ホシュート部のグーシ・ハーンは、青海地方を制覇した1637(崇徳2)年、前年に瀋陽で建国したばかりの清の太宗ホンタイジに、オイラトの首長としては初めて友好使節を送った【宮脇1997:211】
  3. メモ

1638  

  1. チベット
    • グシ汗、チョカンでダライラマより称号と印章を授与される。チベットとモンゴル、互いに称号を授与。タイジ、タ・ラマ、ダヤンなどの起源となる【シャカッパ:132】
    • グシ汗、カム地方に進出【山口1992:134】
  2. 周辺
  3. メモ
    • グシ汗が与えられた称号は、チベット王? チベット王は1717年まで存在。【グルンフェルド:54】

1639  

  1. チベット
    • ゲルク派への陰謀を知ったグシ汗は、ただちに進軍準備。ダライラマの許可を待ち進撃【シャカッパ:133】
  2. 周辺
  3. メモ

1640  

  1. チベット
    • [秋]グシ汗、カム地方に勢力を持っていた反仏教系のベリ・トゥンユゥッ王を襲い、年末近くに滅ぼす。雲南方面まで含めてカム地方を掌握【山口1992:134】
    • グシ汗、カム全土を掌握。ダルツェンド以西がチベットの支配下に【シャカッパ:134】
    • イエズス会、ツァプランの伝道を放棄させられる【山口1988:xvi】
    • ダライラマ、清に遣使【山口1992:136】
  2. 周辺
    • 《モンゴル》ハルハ・モンゴルとオイラトが同盟を結ぶ【宮脇1995:265】
  3. メモ

1641  

  1. チベット
    • グシ汗、ダライラマ侍従長ソナム・チュンペルの依頼に従いツァンへ向けて進軍。篭城するツァン軍を前にソナム・チュンペルもグシ汗軍に合流【シャカッパ:135】グシ汗、ゲルク派に請われてツァン軍を攻撃【山口1988:xvi】
  2. 周辺
  3. メモ

1642  

  1. チベット
    • [3月15日]グシ汗、チベット王の位に就く【山口1992:128】グシ汗、ダライラマを推戴し、自らはチベット国王の座に登り、ソナム・チュンペーをデスィーに任命。ここにモンゴル人による全チベットの覇王が実現【山口1963:752-753】
    • [4月]グシ・ハーン、チベット全土を平定し、チベットの支配権を正式にダライラマに献上【岡田S54:13】
    • グーシ・ハーン、チベット王になる【宮脇1995:211】グーシ・ハーン、チベット全土を平定しダライラマを教主に推戴する【宮脇1995:265】オイラトのトロベーフ・グシゲゲン・カン、チベット全土を征服しその権限をダライラマに寄進。自らはダライラマの守護者となるが、実質的にはチベットの王【TADA1965:101-102】ダライラマ、グシ汗の招きでシガツェ入り。タシルンポで即位、ダルツェンドよりラダック国境までの主権を汗より捧げられ、チベット聖俗両界の主権者に【シャカッパ:139】
    • カルマ派に与していたガルパ、ツァンで反ゲルク派の反乱を起こすが、グシ汗の迅速な手配によって鎮圧。残党はコンポで殲滅される【山口1963:752、772-773】ウー地方は前面戦争状態に。シガツェとカルマ派僧院タシ・スィルヌン陥落。カルマ・テンキョン捕虜に【シャカッパ:138】グシ汗とソナム・チュンペル、コンポの反乱を鎮圧。捕虜から発見した文書でカルマ派の陰謀の全容を知り、即座にテンキョン・ワンポらを処刑【シャカッパ:140】
    • ガンデンポタン政庁成立【CHMO(13):43】
    • ムクデン(満州族の本拠。現瀋陽)の満州族に使節団派遣【グルンフェルド:55】
    • ロサンチューキゲンツェン(1570-1662)、パンチェンラマの称号を与えられる。以降、その転生者がタシルンポ座主となる*1【TADA1965:102-103】
  2. 周辺
    • 《モンゴル》グーシ・ハーンは、チベット王になった1642年に、ダライラマやパンチェンラマとともに、再び使者を清朝に送った。清朝は、統治下のモンゴル人の間に大きな影響力を持つダライラマ5世を招こうと、ラサに使節を遣わした【宮脇1997:211】
  3. メモ

1643  

  1. チベット
    • 摂政(デスィー)ソナム・チュンペル、西チベットのトゥー地方を巡視し、人口統計実施【シャカッパ:140】
    • ネパール、ラダック、インドの各王が、ダライラマ5世の俗界の政権掌握を祝う使節派遣。シッキムの記録には「ダライラマ5世がシッキム初代の王プンツォク・ナムギャルに対し、必要とあらばいつでも援助する旨保証した」という記述あり【シャカッパ:140】
  2. 周辺
  3. メモ

1644  

  1. チベット
    • モン族僧院群・ブータン間の紛争をグシ汗とソナム・チュンペルが調査。モンへの援軍としてブータンに700のモンゴル兵とチベット軍を派遣するが敗走。不敗のモンゴル神話もここまで【シャカッパ:140-141】ダライラマ政権、ブータン攻撃【山口1988:xvi】
  2. 周辺
    • 《中国》明朝が倒れ、清朝成立【シャカッパ:140】
    • 《モンゴル》ジューン・ガル部族長バートル・ホンタイジの子ガルダン誕生。ウェンサ・トゥルクの転生と認定【岡田S54:14】ジューンガル部長バートル・ホンタイジの息子ガルダン、グーシ・ハーンの娘アミンターラから生まれ、ウェンサ・トゥルク(ホトクト)の転生と認定される【宮脇1995:198】
  3. メモ

1645  

  1. チベット
    • [3月25日]ポタラ白宮造営の地鎮祭【山口1992:136】
    • [4月1日]ポタラ白宮造営の工事初め【山口1992:136】
    • ポタラ宮造営はじまる(白宮,1648に完成)【山口1988:xvi】
  2. 周辺
  3. メモ

1646  

  1. チベット
    • ブータンと平和交渉。ブータンとモンとの関係を紛争前の状態に戻す条約を起草。ツァン派政権時代ブータンは毎年米を朝貢していたが、新条約にしたがって米をガンデン・ポタンに朝貢することに【シャカッパ:141】
    • いくつかのカギュー派僧院をゲルク派に改宗【シャカッパ:141】
    • ダライラマがラカンパとパードの二官吏を東カム(ダルツェンド、チャラ、ギャロン、バ、リタン、ジュン、ギャルタン、ミリ、デン、リンツァン、ラトク、ナンチェン)に派遣し人口調査実施。地主から税金徴収。その一部はチベットの僧院維持の財源に充てられ、残りはチベット政府の国庫へ。ダライラマが56冊におよぶ各区の税金徴収帳簿を作成【シャカッパ:141-142】
    • ダライラマ、清に遣使【山口1992:136】
  2. 周辺
  3. メモ

1647  

  1. チベット
    • ブータンとの間に再度戦争【シャカッパ:141】
    • ダライラマ、清に遣使【山口1992:136】
  2. 周辺
  3. メモ

1648  

  1. チベット
    • ポタラ白宮、ほぼ完成【山口1992:136】
  2. 周辺
  3. メモ

1649  

  1. チベット
    • [5月]ポタラ白宮で略式の落慶法要行われる【山口1992:136】
    • 1651年までの数度にわたり、清の順治帝、ダライラマ5世を北京に招聘【シャカッパ:142】
  2. 周辺
  3. メモ

1650  

  1. チベット
    • 清朝より、ダライラマの北京訪問を促す使節到着【山口1992:136】
    • ダライラマ、北京を訪れ、順治帝と会見【GOL:71-72】
    • チョナン派の寺タクテン・プンツォクリン寺がゲルク派に改宗させられる【山口1988:321】
  2. 周辺
  3. メモ

1651  

  1. チベット
    • 清朝より、ダライラマの北京訪問を促す2度目の使節到着【山口1992:136】
  2. 周辺
  3. メモ

1652  

  1. チベット
    • [壬辰年チベット暦3月17日]ダライラマ、グシ汗や摂政とともに慣例のチューコルギャル僧院を参詣した後中国へ。道中、チベット人遊牧民やモンゴルの部族から歓待を受ける。グシ汗と摂政はラサより1日行程分、随行【シャカッパ:142】ダライラマ、北京訪問のためデープン寺を出発【山口1992:136】
    • [3月]ダライラマ、国境で出迎えてほしいと清皇帝に親書。満州人と中国人官吏の議論により、ダライラマは小規模の護衛とともに中国領内に入り、適切な場所で清皇帝に会見すると決定【シャカッパ:143】
    • [チベット暦8月]旅の途中のダライラマのもとへ、清からの使者到着。寧夏で献上式。ここよりダライラマは馬をやめて輿へ【シャカッパ:143】
    • [チベット暦11月2日]旅の途中のダライラマに中国人の大臣が謁見。官吏300名のみを具して先発するよう要請【シャカッパ:143】
    • [チベット暦12月16日]ダライラマ、城塞都市コトルにて皇帝と会見。皇帝がダライラマの一行と出会ったのは狩猟に出かけようとしていた時だったから、とする説もある【シャカッパ:143-144】
    • [12月17日]一行、北京着【シャカッパ:144】
    • 清朝からの再三の要請に抗しきれず、ダライラマ5世は、1652から53年にかけて北京を訪問【宮脇1997:211】
  2. 周辺
  3. メモ

1653  

  1. チベット
    • [癸巳年チベット暦1月1日]北京の全官吏、ダライラマに拝謁。ダライラマ、拝謁に来た官吏たちに盛大な宴を開催【シャカッパ:144】
    • [癸巳年チベット暦1月11日]公式会見。皇帝、ダライラマに称号を刻んだ金冊を贈る。ダライラマ、返礼に称号を贈る【シャカッパ:144-145】
    • [2月18日]ダライラマ、太和殿で別れの宴を受ける【山口1992:136】
    • [癸巳年チベット暦2月19日]ダライラマ、北京出発。追って皇帝よりさらなる称号が贈られる【シャカッパ:145】
    • [5月1日]代噶滞在中のダライラマに勅使が到り、称号を彫った金印、金冊が贈られる【山口1992:136】
    • [癸巳年チベット暦10月24日]ダライラマ、ラサ帰還【シャカッパ:145】
    • [11月11日]ダライラマ、北京訪問よりデープン兜率宮に戻る【山口1992:136】
  2. 周辺
  3. メモ

1654  

  1. チベット
    • [甲午年チベット暦6月16日]ダライラマ、タシルンポ僧院やツァン、トゥー地方の僧院郡から訪問を請われ、巡視開始。同年内にデープン僧院に帰還【シャカッパ:145-146】
    • [12月7日]グシ汗、ラサにおいて没。齢73。息子のタシ・バートゥルとダヤン汗が跡を継ぎ、共同統治【シャカッパ:146】グシ汗、病没【山口1992:144】
  2. 周辺
  3. メモ

1655  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《モンゴル》[1月]グーシ・ハーン没【宮脇1995:211】グーシ・ハーンが死ぬと、青海ホシュート部で、左右両翼に分かれて争いが起こった【宮脇1997:211】
  3. メモ

1656  

  1. チベット
    • ベンガル王シャー・シュージャの特使、来朝【シャカッパ:146】
    • 摂政(デスィー)ソナム・チュンペル没。当時チベットは不安定な状態にあったため、ダライラマはその死を1年以上隠し、新摂政任命まで執政【シャカッパ:146】
    • 13歳のガルダン、初めてチベットに行き、ラサでダライラマに謁見。その後パンチェンラマ1世に弟子入り(-1662年)【宮脇1995:198】
  2. 周辺
  3. メモ

1657  

  1. チベット
    • チベットと緊密な関係を保っていたブータン人首長チュージェ・ナムカ・リンチェンが敵に殺され、チベット軍を再度ブータンに派遣。詳細不明ながら、前回のものにくらべれば成功したらしい【シャカッパ:146】
  2. 周辺
  3. メモ

1658  

  1. チベット
    • [3月3日]摂政ソナム・ラプテン没【山口1992:149】
    • ソナムチュンペー没し、ダライラマによる直接統治始まる【TADA1965:102】
    • タクテン・プンツォクリン寺はガンデン・プンツォクリンと名を改めさせられ,寺中のターラナータの霊塔は破戒され,そこで開版されたチョナン派の典籍はすべて封印・発禁となり,ゲルク派の大印刷所に変わった【山口1988:321】
  2. 周辺
  3. メモ

1659  

  1. チベット
    • [6月16日]ダライラマ、亡くなった前摂政ソナム・ラプテンの後継者と目された管領ノルブの領地と邸宅などを没収。パンチェンラマら有力者によるダライラマとノルブ間の調停の動きが続き、チベット王からの異議申し立てもあったため、ノルブへの武力行使は行わなかったが、ソナム・ラプテンの有力な母系親族の追放を実現【山口1992:152-153】
    • ダライラマ、モンゴルに代理派遣。内紛にあけくれず一致団結をと、各モンゴル人首長に要請。チベットとモンゴルのモンゴル人首長は服従のしるしとして、自ら望んでダライラマに対し誓いを立て、それぞれ押印【シャカッパ:146】
    • ダライラマ5世、政治上の実力者であった摂政ソナム・ラプテンの死後、自分に都合のよいよう、巧みに青海の争いを調停。チベット王としてのホシュート部長の権力を、ダライラマ5世の下位に置く【宮脇1997:212】
  2. 周辺
  3. メモ

1660  

  1. チベット
    • [庚子年チベット暦7月13日]ティンレー・ギャツォ、摂政(デスィー)として任命【シャカッパ:147】ダライラマ、トンメッパ・ジャイサンデパを摂政に任命してティンレー・ギャツォと名づけ、グシ汗の後継者に「護教ダヤン王」の称号を贈る。ダライラマを国主、統治権者とする新体制が出発【山口1992:158】
    • グシ汗の後継者、統治権分割。タシ・バートゥルはココノールをとり、ダヤン汗は中央チベットに残る【シャカッパ:146】
    • テンジンダヤン・カン、ダライラマより(チベット王の)称号を受けるが、もはや実権なし【TADA1965:102】
  2. 周辺
    • 《モンゴル》グーシ・ハーンの後継者、「持教ダヤン王(ダヤン・ハーン)」の称号を授かる(1658年の即位のときは、とりあえず「持教金剛王」の称号を贈られていた)【宮脇1997:212】
  3. メモ

1661  

  1. チベット
    • ネパールとの間に国境紛争。チベット軍が派遣され、ネパール人暴徒を駆逐。ネパールとの最初の衝突【シャカッパ:147】
    • パンチェンラマ、ロサン・チューキ・ギェンツェンが91歳で没【シャカッパ:147】
    • グリューベルとドルヴィル、青海からラッサに入り、ネパールに出る【山口1988:xvi】
  2. 周辺
    • 《中国》順治帝没し、康熙帝即位【シャカッパ:147】
  3. メモ

1662  

  1. チベット
    • [2月]パンチェンラマ、ロサン・チューキギェンツェン没【山口1992:158】
    • ダライラマ5世。摂政サンギェ・ギャツォは、南チベットのニンマ派の旧家から、ひそかに6世を選び出し、ジューンガル部のガルダンと結んで青海ホシュート部を牽制するためと、清朝の圧力を避けるために、ダライラマの死を隠匿【宮脇1997:212】
  2. 周辺
  3. メモ

1664  

  1. チベット
    • 康熙帝、ココノールのモンゴル人を鎮めてほしいとダライラマに緊急要請。使節派遣により、状況沈静化。中国=モンゴル間の交易も復活【シャカッパ:147】
  2. 周辺
  3. メモ

1666  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《モンゴル》オイラートのガルダン、チベットより帰国【山口1988:xvi】
  3. メモ

1668  

  1. チベット
    • デスィー・ティンレー・ギャツォ、テンジン・ダヤン汗、同じ月に没。3代目摂政としてロサン・トゥトップが任命。テンジン・ダヤン汗の後継者として弟のクンチョク・ダライ汗が即位【シャカッパ:148】
    • ダヤン・ハーンの子ダライ・ハーン、チベット王を継ぐ【宮脇1995:212】
  2. 周辺
  3. メモ

1669  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《中国》[6月15日]康熙帝、勢力を持つ大臣オボーイらを投獄・追放。政府の実権を手中に【岡田S54:16-17】
  3. メモ

1670  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《モンゴル》ジューン・ガル部族長センゲ(ガルダンの同母兄)、一族内部の財産をめぐる争いで、異母兄により暗殺。ガルダン、ただちに復仇【岡田S54:21】
  3. メモ

1671  

  1. チベット
    • ダライラマ、ジューンガル部を制覇したガルダンに印と衣裳を贈り、ホンタイジ号を授ける【宮脇1995:200】ガルダン、ジューン・ガル部族長となり、ダライラマの認可を得てガルダン・ホンタイジと称す【岡田S54:22】
  2. 周辺
  3. メモ

1672  

  1. チベット
    • ダライラマによる新制度デンイク・アク・バードに、モンゴル人首長も組み込まれる【シャカッパ:148】
  2. 周辺
  3. メモ

1673  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《中国》呉三桂、雲南で叛き、翌年ダライラマのもとに使者至る【山口1988:xvi】三藩の乱(明帝国の遺臣でありながら清帝国に忠誠を誓って雲南に封じられた呉三桂が、ダライラマ5世との密接な関係を通じてチベットとの間に茶と馬を交換する貿易(茶馬互市)を開き、さらに鉱山開発を通じて次第に実力を蓄え、ついには蓄髪して反清活動に乗り出した結果、康熙帝が徹底的な鎮圧に乗り出した事件)【平野2004:127】三藩の乱(-1681)【岡田S54:18,20】
  3. メモ

1674  

  1. チベット
    • 康熙帝、中国人官吏反乱のためチベット軍とモンゴル軍の借用を要請。ダライラマ、中立を守る一方、モンゴル族を結束させておく必要から、モンゴル人首長全員に宛てた親書を一モンゴル人ダライ・フンタイジに託し、私的代理人としての彼に全面的協力を求める【シャカッパ:149】ダライラマ、三藩の乱に際し、当初康熙帝に約束したホシュート軍の四川・雲南攻撃を実行しないばかりでなく、乱を起こした呉三桂の独立を承認して和解するよう、康熙帝に勧める【岡田S54:19】
    • カルマ紅帽派チューインドジェ、ラサにダライラマを訪ね、ここにゲルク派との和解が成立【山口1963:753】
  2. 周辺
  3. メモ

1676  

  1. チベット
    • ブータンとモンの協約が期限切れとなり、急遽チベット軍がブータンへ。両者の交渉は同意に達せず、チベット=ブータン間貿易は停止、国境が封鎖された。ブータン人がシッキムを攻撃したため、チベット軍が再度ブータンへ出陣。ブータンはシッキムより撤退【シャカッパ:151】
  2. 周辺
  3. メモ

1678  

  1. チベット
    • [冬]ダライラマ、ガルダン・ホンタイジに持教受命王(テンジン・ボショクト・ハーン)の称号を授け、ゲルク派の擁護者としての全オイラトのハーンと認定【宮脇1995:201-202】ガルダン、ダライラマ5世よりボショクトゥ汗の称号を受ける【山口1988:xvi】ガルダン、ダライラマ5世よりボショクト・ハーン(「天命を受けた王」)の称号を受け、北アジアを打って一丸とする一大仏教帝国、ジューン・ガル帝国の建設にのりだす【岡田S54:22】
  2. 周辺
    • 《モンゴル》ガルダン、青海ホシュート部を併合しようと青海に進軍するが、途中で軍を還す【宮脇1995:202】
  3. メモ

1679  

  1. チベット
    • マトゥーラ、ベナレス、クルから仏教を学ぶために14名の学生がラサ到着【シャカッパ:151】
    • サンゲーギャツォ,デスィーに就任【蔵漢:3270】サンゲーギャーツォ、摂政に指名される【TADA1965:102】
  2. 周辺
  3. メモ

1682  

  1. チベット
    • [壬戌年チベット暦2月25日]ダライラマ5世、ポタラ宮において68歳で没【シャカッパ:152】
    • [4月2日]ダライラマ、66歳で没【岡田S54:20】
  2. 周辺
  3. メモ

*1 それ以前のタシルンポ座主は、ガンデン寺同様、選出制だった【TADA1965:102-103】

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