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〜 チベット史年表/1708-1757 〜


(11) ダライラマ7世代  

1708170917141715171617171718172017211722172317261727172817301731173217331734173517361737174017421745175017511755

1708  

  1. チベット
    • カプチン派修道士、ラッサに入る【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1709  

  1. チベット
    • ラサン汗によるダライラマ6世擁立などの展開を疑問視した清皇帝、調査のため使者派遣。この赫寿がラサに派遣された最初の地方長官となり、中国史に「チベットの地にチベット問題を管理する事務機構設置の開始を示す」と記される。赫寿、1711年まで駐在し、1710年にラサン汗のダライラマを承認する旨の皇帝印を授け、ラサン汗に「信仰厚く忠誠なハーン」という称号を授与【グルンフェルド:57】
    • ジャムヤン・シェーパ,青海にタシキル大僧院を創建【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1714  

  1. チベット
    • ゲルク派より「ラサン汗を倒し真のダライラマをラサで登位させてほしい」との嘆願を受けたツェワン・ラプテン(ダライ・フンタイジの息子。故サンゲェー・ギャツォの強力な同盟者)、自分の娘と汗の息子ガンデン・テンジンとの結婚を画策【シャカッパ:168】
  2. 周辺
    • 《モンゴル・ブータン》ラサン汗、ブータンに軍事遠征し敗北【シャカッパ:168】
  3. メモ

1715  

  1. チベット
    • ダライラマ7世,クンブム(塔爾寺)大僧院に保護される【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1716  

  1. チベット
    • ダライラマ6世に同情的なモンゴルの数部族が新転生者の認知と保護を決定。少年をココノールまで護衛。その地でモンゴル人より暖かく迎えられた新転生者とその家族はクンブム僧院入りを決定【シャカッパ:168】
    • デジデリ・フレヤー両神父、ラダックからラッサに至り、フレヤー、インドに去る【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1717  

  1. チベット
    • [6月]大ジャイサン・ツェリンドンドブ、6千のジューンガル軍を率いテングリ・ノール(ナムツォ)湖畔に突然出現。ラサン・ハーンは2ヶ月戦ってラサに後退し、城壁内に立てこもるが、かれに反感を持つチベット人が城門を開けたため、ジューンガル軍が入城。ジューンガル軍が市内を荒し回る【宮脇1995:214】
    • [12月]ポタラ宮に逃げ込んだラサン・ハーン、救援の清軍が到着するまで持ちこたえるのは不可能と知り、ポタラ宮を出てジューンガル軍と切り結び戦死【宮脇1995:214-215】
    • ジューンガル軍はチベットのラサに侵攻し、同じオイラト部族連合の同盟部族、ホシュート部のラサン・ハーンを殺した【宮脇1997:210】ツェワン・ラプテン、花嫁を迎えに来たガンデン・テンジンをジュンガルで監禁、殺害。チベット進撃。ラサン汗、ナクツァンからの使者によりジュンガルの裏切りを知る。ジュンガルは「故摂政の復讐のため、ラサン汗によって押し付けられたいわゆるダライラマ6世を廃位し、全権力をチベット人に返還する」と宣伝。ラサン汗はラサに篭城、戦死【シャカッパ:169】ジュンガル軍、ラッサにラサン汗を襲い殺す【山口1988:xvii】
    • ラザン・ハーン、死の直前に緊急の支援を訴える手紙を北京の皇帝に送付。手紙の到着はハーンの死後。皇帝は起こったばかりの事件を知らないままチベットに派兵するが、ハーンの敗北を知り行軍停止。満州族指導者は、ジュンガル部政権を倒し決定的勝利を得る好機と見て、軍に四川を通過し行軍続行と命令。同時に、タール寺付近でモンゴル軍に勝利した別の軍にも、ラサ進軍を命令。1720年にラサ着【グルンフェルド:58】
    • 大臣ガプー、ルンパ、ジャラネーの謀略で、大臣カンチェンネー殺害【GOL:198】
  2. 周辺
    • 《中国》北京版カンギュル再版【山口1988:314】
  3. メモ

1718  

  1. チベット
    • [3月]救援を乞うラサン・ハーンの手紙、北京着。清軍が命令を受けすぐに西寧を出発、途中青海のホシュート兵を加えて7千の兵力でラサへ向かうが、ジューンガル軍に敗れて全滅【宮脇1995:215】満州人将校額倫特(エレンティ)率いる清朝官軍がナクチュカへ進軍。ジュンガル軍とチベット軍の攻撃で敗北【シャカッパ:173】
    • ジュンガル側、チベット人の嘆願を受けてクンブムにいる新ダライラマをラサにつれてこようとしたが、満州人を説得できず失敗。ジュンガルの評判はさらに低下。ジュンガル政権への不人気が昂じたため、各地の有力者が支配権を固め、ジュンガルの手中に残されたのはラサとウー地方のみに【シャカッパ:171-172】
  2. 周辺
  3. メモ

1720  

  1. チベット
    • ジュンガリアのモンゴル人、チベットを侵略。清朝、援軍派遣【タイクマン:13】【山口1988:xvii】
    • [3月]康熙帝、幼年のダライラマが公式に認定されたことを知り追認。使節団を派遣し、ダライラマに金の印璽を贈る【シャカッパ:172】
    • 清、ダライラマ7世を公認。軍とともに7世をラッサに送り、ジュンガル軍を追い、カンチェンネーの政府を設ける【山口1988:xvii】清朝、ダライラマ7世公認【宮脇1995:215】康熙帝の軍、ラッサ入り。城壁が取り壊され、清の部隊が駐留。カムを四川省に編入。以降清朝末期(1912)まで、チベットは中国の保護領となる【スタン:86】
    • [10月]クンブム大僧院にいたダライラマ、清軍の護送を受けて、民衆の歓呼の中ラサに入城。ポタラ宮において登位【宮脇1995:215-216】
  2. 周辺
    • 《中国》北京版テンギュル開版【山口1988:xvii】
  3. メモ

1721  

  1. チベット
    • デジデリ神父、ラッサを去り、翌年インドに至る【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1722  

  1. チベット
    • 清のチベット駐留軍、ラサから全面撤退【宮脇1995:216】
  2. 周辺
    • 《モンゴル・中国》ホショット族のグシ汗の孫息子チンワン・ロサン・テンジン、清朝に対し反乱。制圧され、1724初頭ココノールは清に併合【シャカッパ:177】
  3. メモ

1723  

  1. チベット
    • 雍正帝、緊縮財政を打ち出し、ラサからの駐屯隊引き上げ、満州人の軍事援助一切打ち切りを決定。中央チベットの行政すべてチベット人官吏に委任【シャカッパ:177】清軍、ラッサを撤退。青海にロサン・テンジンの乱を平定し、直轄地とする【山口1988:xvii】清朝、内紛を口実に青海ホシュート部を完全に制圧。ロブザンダンジンはジューンガルへ逃亡。これ以来、青海地方は清の支配下に入り、モンゴルと同様の旗制が施行されることに【宮脇1995:216】
  2. 周辺
  3. メモ

1726  

  1. チベット
    • [夏]ニンマ派の教えを弾圧せよとの雍正帝の指示を携えた使者が到着。カンチェンネー、皇帝からの指示に従い、ニンマは弾圧政策打ち出し。政敵ポラネーとの間に軋轢発生【シャカッパ:178】
    • 清朝、カンチェンネーにニンマ派弾圧を命じる【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1727  

  1. チベット
    • [春]カンチェンネーら他の閣僚と対立していることに気付いたポラネーは、ラサを去ってツァンの自分の荘園へ【シャカッパ:178】
    • [8月6日 丁未年チベット暦6月18日]チョカン寺で行われた閣僚会議の席で、カンチェンネー暗殺【シャカッパ:178】
    • カンチェンネー殺され、ポラネー、挙兵し清に通報【山口1988:xvii】
    • 蔵中国境を示す標柱、ブムラ(バタン南西2日半行程)に設置【タイクマン:14】
    • カムにスィトゥのペルプン寺(印刷所)建立される【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ
    • ペルプン寺について。山口1988の別のかしょでは1728年としている。「スィトゥは1728年,テンパ・ツェリンを施主としてペルプン・トゥプテン・チューコルリンを創建した。これが後年,デルゲのドゥンドゥプテンと並んで,カム地方における出版事業の中心となった。」【山口1988:323】 当地の発音では「パプン」か?

1728  

  1. チベット
    • ポラネー、ダム地域の遊牧民とモンゴル兵を味方につけ、カンチェンネー派の大臣らと対決しようとラサ入城。2ヵ月後、ダライラマの身辺保護と内戦に決着をつけるため雍正帝によって派遣された大軍が到着。満州人指揮官とラサ駐在満州人官吏が大臣らを有罪と決定、処刑。ポラネーは満州人の協力を獲得するが、後にそれが満州人・漢人にチベットへの宗主権を主張させる基盤を与える結果に【シャカッパ:179】清軍至り、反乱3大臣処刑。ダライラマ7世はガルダルに流される。パンチェンラマ、ツァンの統治権を許される【山口1988:xvii】摂政にかわって内閣が設けられ権力が分割されたことが、不可避的に内乱を招き、平和を取り戻すため中国軍を呼び戻すことに【グルンフェルド:59】--ダライラマ7世、満州皇帝により中国へ流刑になる【GOL:41】
    • オランダ人ヴァン・デ・プッテ(俗人探検家)、ラッサに至る【山口1988:xvii】
    • この頃、ラサに初めて満州人官吏が駐在することに(アンバン2名。うち1名は満州人。1911年まで)。軍隊も再駐屯【シャカッパ:181】
  2. 周辺
  3. メモ

1730  

  1. チベット
    • ブータンの内紛に介入し派兵。以降ブータンからの朝貢(ロチャク)を要求(1950年まで存続)【シャカッパ:181-182】
  2. 周辺
  3. メモ

1731  

  1. チベット
    • チョネ版カンギュル開版【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1732  

  1. チベット
    • ポラネー・ソナムトプゲーの発願により、ナルタン版カンギュル,シェルカルで開版される【山口1988:314,xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1733  

  1. チベット
    • カプチン派宣教師使節団、ジュンガルが中央チベットを占領している間も、医療知識を買われて身の安全を保証され、チョカン脇に土地購入、教会建設の許可も得ていたが、僧院勢力の圧力により伝道所閉鎖。ラサを発ってネパールへ。1741-45再びラサヘ【シャカッパ:182】
    • ポラネー、皇帝を説得して駐留軍を500名に削減。数年後には100名に【グルンフェルド:59】
    • デルゲ版カンギュル開版(1730〜,1734年完成式)【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1734  

  1. チベット
    • 清皇帝、ダライラマに「国境近くに僧院建立。維持費は負担。僧侶の必需品も提供」と申し出。後に皇帝はチベット全土の僧院で消費される磚茶の年間支出に見合う5千サンを毎年提供【シャカッパ:182】
  2. 周辺
  3. メモ

1735  

  1. チベット
    • ダライラマ,ラサに帰還を許される【山口1988:117】
    • チャンキャ・ルルペー・ドルジェ、清の掌印大ラマに任命【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1736  

  1. チベット
    • ブータンの支配者ミパム・ワンポ、ダライラマとポラネーを表敬訪問【シャカッパ:183】
  2. 周辺
  3. メモ

1737  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《中国》北京版カンギュル再版【山口1988:314】
  3. メモ

1740  

  1. チベット
    • ブータン、シッキム侵略。シッキムの依頼によりチベットから行政官としてラプテン・シャルパ派遣【シャカッパ:183】
    • ポラネー、乾隆帝より「郡王」の称号【シャカッパ:183】
  2. 周辺
  3. メモ

1742  

  1. チベット
    • カプチン派、ラッサの伝道を放棄【山口1988:xvii】
    • ナルタン版テンギュル開版(1741-)【山口1988:xvii】
    • デルゲ版テンギュル開版(1737-,1744完成式)【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1745  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《モンゴル》ジューンガル部長ガルダンツェリンが死に、ジューンガル部率いるオイラト部族連合は、相続争いが原因でたちまち分裂【宮脇1995:226】
  3. メモ

1750  

  1. チベット
    • ギュルメー・ナムギャル、アンバンとその護衛隊の駐在反対を乾隆帝に主張。度重なる要求に、乾隆帝はギュルメー・ナムギャルの清朝に対する忠誠を疑問視【シャカッパ:185】
    • アンバン、ギュルメー・ナムギェルを謀殺して、その配下に殺される。ダライラマ7世、事件を鎮める【山口1988:xvii】
  2. 周辺
  3. メモ

1751  

  1. チベット
    • ダライラマ7世、ネパール銀貨に銅が混じり始め価値が低下したため、カトマンドゥ、パタン、バドガオンの各ネワール王に銅の混入をやめるよう要請【シャカッパ:195】
    • 満州人官吏による裁判で暴動指導者ら処刑。中国より軍事遠征隊到着。遠征隊が道筋の住民から徴発を行ったことや、ラサの市民宅が中国人に占領されていることへの不満が生じ、アンバンとの交渉で兵士の大半が撤退と決定【シャカッパ:187】
    • 清軍到着し、ダライラマ政権再出発を認められる【山口1988:xvii】清朝,「西蔵善後章程」を発し,駐蔵大臣の権限強化(一部地区の直接管轄権付与,チベット政府・寺院役僧の任免にかかる印の効力をダライラマと同等に)。同時にダライラマの統括力も格段に強化【平野1997:125】
    • 内閣(bka' shag)設置。四名の大臣が任命される。【DGER(1):155】【CHMO(13):16】
  2. 周辺
  3. メモ

1755  

  1. チベット
  2. 周辺
    • 《中国》乾隆帝、河北省承徳にサムイェ寺を模した普寧寺建造【平野2004:3】
  3. その他

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